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つぶやき|2022-09-25

今日は、うでパスタが書きます。

“tweet”はもともと「つぶやき」ではなく「さえずり」を意味するわけですが、つぶやきが相手のいない発語である一方さえずりは(人間が何と言おうと)あくまでも鳥たちの会話や少なくとも呼びかけであって相手がいてなんぼなのですから、「ツイッターとは」と考えたときにこのニュアンスの違いは割と大きい問題だったのではないかと過去を振り返って思います。

日本でのツイッターの流行は、「誰だか知らないが面白いことを『つぶやいて』いる」あるいは「誰だか知らないひとが何か『つぶやいて』いること自体がおもしろい」というようなところから始まったように記憶しているのですが、これが「さえずり」であったならば、やはりそもそも誰かに聞いてほしくてtweetしているわけですから、最初からもうちょっとインタラクティブなプラットフォームというか、コミュニケーションツールとしての認知が確立されるようなこともあったのかもしれません。少なくとも、現在のめちゃくちゃブチあがった精神病院みたいな有様の起源がこの「つぶやき」という異常行動を冠にしたことに端を発しているのであれば、まさに慚愧の念に堪えないといったところでしょう。
もっとも、英会話の講師と「日米のSNSの使い方のちがい」について話しておりましたら、向こうの方から「日本人は知っているひと同士でしか交流しないが、我々アメリカ人はそれが知らない相手でも目に入ったポストにはリプライで絡んでいく」といくらか誇らしげに指摘がありましたので、そもそもが国民性のちがいに過ぎないという可能性もあえて否定はいたしません。

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