我らが背(そむ)きし者。|weekly
今週は、うでパスタが書く。年頭の挨拶は特にない。
「いいんじゃない」
と、彼女は言った。私はいいと思う、嫌味がなくてと。
小綺麗で機能的だが、ふたりで住めば遠からず手狭になると分かりきったデザイナーズマンションの1LDKをぐるりと歩いてまわったあとだった。
「いくらか贅沢な暮らしができるようになったからといって、家賃の高い家へ越すのだけはやめておけ。家は水準を引き上げてしまうと何かあったときに戻すのが難しい」とカイシャから口酸っぱく言われていた二〇代の僕に、どのみち他の選択肢はなかった。
しかしいずれにせよ、それからわずか三ヶ月のあいだにヤクザと事故と違法薬物をめぐるトラブルに巻き込まれた彼女は自分が運び込んだ家電一式とともにその部屋を去っていくことになる。
これは要らなかったから、と渡された封筒には「必要なものがあったら使ってくれ」と渡した一〇万円がそっくり入っていた。だが彼女自身の預金がとっくに底をついていることを僕は知っていた。
「あなたの人生は甘くて楽しそう、でもこの世界はあなたのようなひとのためのものじゃない」
僕に引導を渡すとき、彼女が付け加えた言葉の痛みから立ち直るのにはしばらくの時間を要する。痛みや苦しみがなければ人生は無味にひとしく、生きていくには耐えがたい。だがこの苦しみの薄れることがなければ自分はこれ以上生きてはいけない、そう思ったのは初めてのことだった。
この毒は、そのまま回っていれば僕の生命を破壊したはずだと思う。それを救ってくれたものについては、いつかどこかで書いたことがある。
おかげでその傷も癒えてもうずいぶんになる。爾来、僕はずっと「いいと思う、嫌味がなくて」を嫌味に使っている。「買い物上手ですね」と言うこともある。
彼女はさらにこう言い残した。
「あなたはこの漫画に出てくる子どもにそっくり。何もかも知っている風で、でもひとの顔色に敏感なだけで本当のこの世のビリビリするような感動をまだ知らない」
彼女は映画を観なかった。
現実は映画よりもずっとエキサイティングで、ずっと感動するからと彼女は言っていた。
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