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自己、啓発。/Light My Fire|weekly vol.0114

今週は、うでパスタが書く。

キャバクラをいくつか経営する社長というかオーナーのおっさんが「店長にふさわしい人間の見抜き方がいちばん難しい」と言っている話を聞きました。その要件は「めちゃくちゃに優秀だがまったく野心のない人間」だそうです。

まぁ随分あけすけな話だなとは思いましたが、コンプライアンスとか社会的責任とかに拘泥しないタイプの会社(領域としてグレーゾーンに位置しているというに限らず、単にクソでかい中小企業なんかも含みます)で成功を収めている社長さんの話というのはかようにリアリズムがあふれていて心を持っていかれそうになる瞬間があります。これは本当です。だいたい資本主義と社会的使命みたいなアイデアがどうやったら結びつくのでしょうか。「マスメディアは社会の公器」みたいなのも謎な概念ですよね。イズベスチャ?みたいな気持ちになってしまいます。

いまではSNSなんかで「優秀で従順な従業員が最高」みたいなことを言った経営者はスコボコにイかれるものと思いますが、とはいえiPhoneもロクに使えないようなタイプの社長からしてみればSNSの風潮など「は?」みたいな話で、痛くもかゆくもありません。逆に表だって「独立を応援したい」とか「起業家を送り出すのが使命」とか言っているシュッとした経営者だって幹部や事業の責任者が辞めて競合になったりするのが面白いわけがなく、よくよく聞いてみれば独立して出ていくまでのやりとりや、その「ケジメ」のありようには結構ひどいものがあったりしますので、綺麗事ばかりを発信している会社がヘイトを集めがちな昨今の風潮もまただいたいみんなこういう実態を肌で感じているからではないでしょうか。
ではいったい、成功していてかつ醜聞の出ない会社というのはこの世に存在しないものなのでしょうか?信越化学工業ぐらいのものでしょうか?
いずれにせよ、「優秀で野心のない人材を求めています!」という求人広告を出したらヘイトはともかくどれぐらいどういう人が集まるのでしょうか。
若き日の豊臣秀吉が信長に殺されなかったのも秀吉が「殿」の生前はまったく野心を見せなかったからだ、というようなことを言うひともいるようです。現代において我々は幼い頃はなぜか「大志を抱け」「夢は大きく」みたいなことばかりを言われて育たなければならないわけですけれども、そんななかで「自分には夢も野望もないんだ…」という悩みを抱えて大人になったひとも少なくないはずです。生きていくうえでは様々な適性というものがあり、たとえば野心のない人間にもそうでなくては務まらないポジションがあるということは覚えておきたいものです。

「おまえは人生をなめている」とか「周りのひとのことをだいたい馬鹿にしている」とかいうことを昔からよく言われます(歳をとったせいか、またはアレのせいでひとに会っていないためか最近は少し減りました)。
たぶんみんなが私のことをそう思っていたのだと思いますが、最初に面と向かってはっきり言われたのは中学三年生の二者面談で、担任の教師、これは本当に人間としてはデキの悪い技術科の教師で腕っ節だけは強いため“フカして”いる割にかわいそうな男だったのですが、この担任から「おまえは何とも思っていないだろうが、おまえの言葉はひとを深く傷付けることがある。それはいずれおまえ自身を傷付けることになるだろう」とそのときは目を見て言われました。
技術科のくせに無理してそんなポエム読むぐらいなら結婚の心配でもしてろよ、こっちは“オール五”だぞ、そして“オール”に技術科は入ってすらいないから、と強がってはみた(ふつうに手を出す教師だったため口には出せなかった)ものの、結局私はそれから四半世紀あまりのあいだ、彼の予言に怯えながら暮らしてきたことを告白しなければなりません。

最近ではもう言葉に出すまでもなく、たとえばホーチミンシティのバーのカウンターでひとり黙って飲んでおりましたら、いくつか隣の席に座っていた見知らぬ日本人客がいきなり私に向かってキレはじめ、「おまえはそうやって自分だけは安全だってなところでひとを見下しながらやってやがってよぅ!」と怒鳴り始めたので、「どうして分かったんだろう」と本気で驚きました。
そのときはバーの店長が収めたのですが(というか少なくともその場で私は何もしていないばかりか相手のことも知らないし、向こうが入店してからこっち一言も口をきいていないので店が責任をとるのは当然のことです)、たとえばこのようなときにもやはり私はあのとき技術科の残念な担任が言った言葉を思い出すわけです。そういう意味ではあの先生も結局のところ私にとって大切なものを持たせてくれる“師”だったのかもしれません。

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