四月の死産と、もっと多くの死。|weekly
今週は、うでパスタが書く。
四月は死産だった。生まれたときには死んでいた。
D.O.A = Dead On Arrival(到着時死亡)だった。
「三連休で花見に出たひとが多く、感染爆発の危険が高まった」と言われる三月のその三連休にのこのこと温泉へ出かけていた私は、それを言われるたびにショックを受けて三月末から自発的にアンネ・フランクを始め、これで五週間になんなんとしている。
もともと外出すると言っても所用はだいたい午後七時からの酒席がほとんどだったので、社会生活という意味ではさほど大きな変化がない。もしかしたらこれを読んでいるひとというのは案外そうだったりするのかもしれない。
わけても土日なんかはまったくもって普段と変わらないと言っておかしくないはずだが、しかしなにしろ子どもが学校へいかないものだから平日ずっと相手をしているとそのしわ寄せが土日へやってきて、まったく息のつけないままにこの五週間というのはまるでメリハリのない、それこそ四月を貫く棒のようなものだった。
しかしこうしていると毎日はおなじように過ぎていって、何かを思い出そうとしてもそれが昨日のことか先週のことか、時間に目印がないから分からなくなっていく。こうなると日々は棒のようなものというよりはむしろボウルに溜まった水のように混然として、一体としてそこに揺れている。今日、そこにインクを一滴たらせば、それは三月のあの日までをおなじ淡い色に染めてしまいそうだ。
あの頃自分たちがまだどれほど無邪気であったかも、僕にはよく思い出せない。
これは死の、ひとつの段階なのだ。
いま日本でも馬鹿売れしているという「ペスト」を著したアルベール・カミュのもうひとつのポピュラー・ソングに「異邦人」がある。「ママンが死んだ」「太陽がまぶしかったから」といったパンチラインばかりが引用される「異邦人」では、投獄されたムルソーが処刑による死を待つ間、毎日が単調になるにつれて日々が驚くほど早く過ぎ去っていったと語られている。
つまるところそれは、いま我々が経験している日々に他ならない。
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