Attention, Engagement, Money, Bias. | weekly vol.076
「では先週のあなたの行動を振り返ってみましょう。
ライフログプランナーAIはそう言うと私の行動履歴をマルチディスプレイに表示しながらそこから得られたインサイトとデータの種類を説明していく。バイタルデータについては何となく分かるものの、それ以外の脳波データや無意識下の情報処理については、当然自覚もなく、説明を聞いてみてなるほど、と思うことが多い。自分自身のデータについて全権を委任してしまうこともできるのだけれども、自分は最初の内はどのようなデータが得られるのかに興味があったので週次で確認するプランを選んだ。ただ、それがいつの間にか習慣になってしまいかれこれ5年ほど自分から収集されるデータを見るようにしている。ライフログプランナーAIはデータの種類や簡単なインサイトは提供してくれるものの、アドバイスのようなことはしないところが気に入っている。まあ健康状態も逐一管理されているので、病気のリスクなどは顕在化する前に対応がされているし、基本的に危険行動申請をして冒険登録をしたりしない限りは介入されることはなく暮らすことができる。ガイドラインに従って生きている限り、安全や健康はある程度保証されているわけで、そこからはみ出て生きようという動機を持つ人はごく少数だろう。
自分では自覚できないほどの量のデータがそこには表示されているが、いちおう自分が歩いたり食べたり見たり聞いたりしたものに付随するデータであり視野の中には入っているし、装着しているウェアラブルデバイスが収集したものなので帰属先として確認の義務がある。データは誰のものか、という議論はだいぶ前に決着がついており、匿名化された状態でデータバンクに登録されることになった。データには個人の識別子が付いているため、そのデータが利用されるごとに何かしらの報酬が得られる仕組みになっている。労働から開放された人類は地球上を動く歩くセンサーとして生きることになった。生まれてすぐに埋込み型のセンサーが装着され、全てのデータはデータバンクに送られる。全ての行動データを提供する代わりにベーシックインカムが支給される。いわゆる最低限度の生活というものもロボティクスの普及によりかなり向上し、21世紀半ばの暗黒時代に比べれば劇的に改善している。」
彼女は音読をやめると、立ち上がり窓を開けた。60日ぶりに雨が止み、空には3つの虹がかかっている。雲はまだ少し早く流れており、大気のうねりを感じさせる。
最近の彼女の関心はSFと呼ばれるフィクションと現実との相互関係で、ようは、人々が実際にどのように生きていたかということと、フィクションとしてどういったものを創作したのかの間に何かしらの影響があるのかということを、当時の記録から読み解こうというものだ。人間の想像力というのは果てのないものなのかもしれないが、そうは言っても日々の生活からの影響からは免れ得ないもので、あり得たかもしれない世界を想像する際にもその創作者の日常生活が若干は滲み出てしまうのではないか。
過去の興味深い試みとしては、夢の可視化というものがある。夢で見ている内容を映像記録として抽出しようというもので、意識的に操作し創作しようとして作られたものに比べて物語の構造としては破綻しがちだが部分を取り出してみると非常に突飛で興味深いシチュエーションを描いていたりする。リバースエンジニアリングによって夢がハックされるようになり、夢の世界から帰ってこられなくなった人が増えたために使用制限が設けられるようになった技術なのだけれども、規制前に記録されたデータは今でもいくつか残っている。夢というのは脳が情報の定着のために処理している断片が意識上に現れるものだが、断片化のロジックというのが解明されていない間にはさながらマッシュアップコンテンツのようで、それはそれで面白がられた。何事も解明されていない過程の方が面白いという時があるのかもしれない。
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キノコです。
8月から続いた心身の不調は9月まで続き、気づけばもう10月です。画像を保存しているGoogle photoを開くと、1年前、3年前、5年前の今日といった感じで写真を掘り起こしてくれるのですが、1年前の自分は何をしていたのか、というのをそこからTwitterの履歴などを振り返ってみると意外と元気に過ごしていたりして、それに安堵したりします。やはり今年は異常なのではないか、という感覚があるのですがそう間違ってはいないのではないか、と。
あまり気にしすぎないように、なるようになる、と口では言っていてもやはりアレコレ先のことを考えてしまうもので、半年以上もこんな生活を続けているとさすがに精神もまいってくるということなのでしょうか。暑さに弱いというのもありますが、今年は例年以上に気分の波が激しいように感じます。まあ引越しをしたり環境が変わったというのも大きいのかもしれません。鬱の人は転職したり引越したりしない方がいいとよく言われますが、環境の変化というのは精神に負荷がかかるというのがその理由だそうです。仕事も定型なものは少なく、トラブル処理みたいな物が多いのでそれはそれでストレスが溜まりやすいのかもしれません。VUCAの時代というのは日常が失われ、非常事態がずっと続くようなものだとか書かれるとそれだけで生きていくのが辛いのでは、と思います。もちろん、変化は好きですし、同じことを繰り返すのは得意でもないのですが、ある程度の基盤みたいなものが欲しいという気持ちが自分にもあることが最近の発見ではあります。
まあなにはともあれこうしてまた何かを書けるようになったというのは喜ぶべきことでしょう。
というわけで、本日は先日の配信以降に少し考えていたデータに基づく判断の話の補論です。
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