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黒い翼|weekly vol.0100

今週は、うでパスタが書く。

節目となる第一〇〇号のウィークリーはキノコさんが書く、ということで固唾をのんだ読者の期待をいい意味で裏切るかたちでこのウィークリー・マガジンの第一〇〇号は私が書いている。これからもこうしたサプライズは躊躇わずにやっていきたい。

ところでこれはすでに反省済なのだが、この春あたりからどうもビブリオテーク・ド・キノコの運営がうまくいかなくて、定期購読マガジンの発行が思うようにいかなかったり、YouTubeLIVE配信のしまりが悪かったりということが続いている。
売上がいまいちなのは読者の努力が足りないにしても、サービス面に関してはしっかりテコ入れをしていきたい考えだ。少なくとも私については地獄のような土地探しとハウスメーカー選びが終わり、日課だったはずのランニングもようやく再開できるようになったので言い訳するつもりはない。契約したハウスメーカーについては以下の配信で明らかにしている。
私の家が建ち、キノコさんの家がゆっくりと無に帰していく過程については引き続き配信のなか、「市況セクション」のあとでお伝えしていく予定だ。

「無に帰していく」という言い方をしたが、しかしもちろんキノコさんの家は無に帰すわけではなく、建て替えられるマンションは猛烈に流動化されてキャピタルゲインを発生する予定なのでこれは単に物理的に消失するというだけの話であって、オフ・バランスですらなくガッツリと「現預金」に返ってくるわけなので、もとより嫉妬深い私のメートルはいまにも振り切れそうだ。売買契約が締結されたあたりのタイミングで劇的な円安になって物価二〇倍ぐらいにならねぇかな、と思わないでもないが、再三言っているようにふたりのあいだで「金に縁のある」のはキノコさんの方なので、実際にはむしろ逆に私の家の隣にマフィアのドンが越してくるとかそういうことの方が蓋然性は高いと考えるべきだろう。

ちなみにアメリカの旧家が豪邸を所有するロングアイランド、ここは「グレート・ギャツビー」のジェイ・ギャツビーが虚構を囲う屋敷を構えたり、「ゴッドファーザー」のコルレオーネ・ファミリーが暮らしていたりしたニューヨーク州南東の島だが、ここに代々暮らすWASPの典型みたいな弁護士の自宅の隣にイタリアン・マフィアのドンが越してくるというところから始まる痛快なサスペンスがネルソン・デミルの「ゴールド・コースト」だ。
(ちなみに映画はすり切れるほど観ていたとしてもマリオ・プーゾの「ゴッドファーザー」はかなりいいので未読の方は是非お求めください)

「将軍の娘」ばかりが取り沙汰されるネルソン・デミルとこの「ゴールド・コースト」についてはすでにたびたび取り上げているが、まだ履修されていない方はたった二円から買えるので騙されたと思ってお手にとっていただきたい。
なおネルソン・デミルもご多分に漏れず、売れたがあげくに段々面白くなくなっていった作家のひとりだが、いまだ制裁下でアメリカに対する強い憎しみと猜疑心を抱いていたベトナムを米軍将校が旅する「アップ・カントリー」ぐらいまでは本講の必修科目とさせていただいている。「将軍の娘」は映画が有名になったが、最後に出てくる「これが自白剤の禁止に対する私の答えだ」というフレーズを読むためだけでも原典にあたる価値がある。

ところで家を売ると決まった瞬間にべらぼうなインフレーションが始まって決済日には代金が紙くずになっている、あるいは新居の隣にコーザ・ノストラの頭が越してくるというような、人生のいわば「ブラック・スワン」にあたる事象、「理論上ありうるが、実際に起こることは極めて稀である悲劇」に対してどう構えるかはそのひとの人生を定義づける大きな態度のひとつだ。
まずほとんどのひとは「そんなこと考えても仕方がない」か、「えっ、そんなこと考えてんの?」というぐらい、悪いことが起こるといういわば人生のダウンサイドには無頓着だ。たぶんこんな辛気くさいnoteを毎回読んでいるひとなんかからすると「えっ」というぐらい、ふつうのひとはそこまで自分の足もとに気を配っていない。というか、とりもなおさずそれが「まとも」であるということなのだ。

私は小学生の頃に父親から「失明したときのために点字を学んでおくのもいいかもしれない」と勧められるような異常な環境(私の目は正常)に育ったので、あるいはそもそもそういう人間からの遺伝によって、こうしたテール・リスクには人一倍敏感だ。この父は車の運転席にいつもメモ帳とボールペンを常備していたが、それは「ひき逃げを目撃したときにナンバーを控えるため」であった。
しかしこれもまた理論上の話をすれば、テール・リスクをヘッジしようというコストは常に見合わない。このあたりは陰に日向にとキノコさんが二年にわたり書き綴ってきたところであって、また調子がよくなればあらためて説明してくれることと思うが、そもそもリスクをヘッジするという行為は単に「逆のリスク」で相殺するというだけにとどまらず、あらたに「別のリスク」をとるということでもある。その両方のポジションが破綻する「第三のシナリオ」は常にありうるからだ。さらにいえば理論上はありえないほど稀なリスクに備えるためのヘッジというのはそのコストだけで到底割に合わないものとなる。たとえば私が点字の学習に多感な時期を費やしたりしたような場合だ(点字は学ばなかったが、速記はやらされた)。

だがもちろんそれにもかかわらず、「理論上は極めて稀な悲劇」は現実に存在するし、そのへんがどうも直感と折り合いがつかないという場合には、マーク・ブキャナンの「歴史はべき乗則で動く」をお勧めするということになっている。たとえば「いまから二〇年以内に発生する確率は四〇パーセント以上」などと言われつづけている首都圏直下型地震、これが「いつまでもこない」のではなく、「いずれ必ず来るし、来たときは遅れた分クッソでかいのが来る」ということをなぜ我々が直感的に理解できないのかが分かる。

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