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ダイ・フォー・ブラッド|weekly

今週は、うでパスタが書く。

最近は、わりと足繁く献血へ通うようにしている。具体的にはいわゆる自粛期間の終わり頃から二週間に一度のペースで通っている。「わりと足繁く」といったが、実はこれは限界まで過密なペースだ。何事も「必要以上に力を込める」ということ、これが大事なんだ。

きっかけはいわゆる外出自粛や広まる感染に対する恐怖からひとびとの足が献血から遠のいているという報道だったが、いずれは習慣にしなければならないと考えていたことだ。

献血は、応じようと思ったところでそうしばしば叶うものでもなく、全血(四〇〇ml)の場合、男性だと前回の献血から十二週間(およそ三ヶ月)もあいだを空けて、結局は年間に三回しかできないということになっている。これはいちばん負担のかかる赤血球に配慮したインタバルだということだ。

しかしこれが成分献血、それも血漿成分献血の場合には二週間に一度、年間二十四回までの献血が可能になるため、早ければ五年目にも献血一〇〇回の偉業を達成することができるというわけだ。
私が狙っているのは、これだ。
成分献血というのは抜いた血液をリアルタイムに分離して、要らない分をまた体内へ戻すというのを繰り返すため全血の場合よりも少し時間がかかるが赤血球が減らないので身体への負担は少なく、限られた成分だが量もたくさん採れて、終わるとお菓子も一品多めにもらえたりする。

血液はなぜ巨大なビジネスと化したか。この“不思議な液体”と医学、文化、戦争、国家、経済とのかかわり、そして肝炎やエイズ禍、拡大化した血液産業など、血液の現状に警鐘を鳴らした全米で話題の書。日本を含む世界9か国を取材し、6年という年月をかけた第一級の大型ノンフィクション。
「血液の物語」——Amazon.co.jp

母方の祖父は関西の私大で学長代理を務めていた時分に大学闘争を経験し、キャンパスに機動隊を入れて断固たる姿勢を貫いた結果、学棟に「吊ルス」と大書されるなどして酒が過ぎ、身体を壊したあげくにある晩運び込まれた病院で生じた医療過誤によって残りの半生は人工透析をしながら過ごすことになった。
救急現場で生じたミスは、訴えれば勝てるというひともいたそうだが祖父は「医者を訴えてはいけない」という信念を通したそうだ。

教職・研究職とはいえ、何だかんだでだいたいひとの半分ぐらいしか仕事に出ることのできない身体でありながら、その経緯と障害者手帳への配慮から祖父は残るキャリアをその大学で過ごすことになったが、「健康な若い人間はもっと自分の研究に時間を投じるべきだ」と云って、充分に活躍できない自分が当番制でいやいや持ち回りになるような役職をすすんで引き受けていたと聞く。僕が知る限りでは、たとえば地域の選挙管理委員みたいな不毛な仕事もやっていた。

左手の内側に針を打たれ、チューブを抜けていった血を分離する機械の音がする。ひとりに一台あてがわれるテレビは早々に消してしまって本を開くが、片手が自由にならないものだから、どうしても休みがちになってすぐ膝の上へ伏せてしまうのだ。カチ、カチ、カチ、ドゥン、ドゥン、ドゥン、と音が変わるとナースがやってきて、「いま血液をお返ししています」と囁く。
周囲にいる他の献血者は、おおまかに分ければ「よく喋る奴」と「そうでもない奴」。これはどこへ行ってもおなじだ。バーでも、散髪屋でも、イチゴ狩りとかのバスツアーでもみんなおなじだ。

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