一億総株主 | 2022-06-01
6月になりました。今年もここ数年の例に漏れず既に暑いです。毎年書いておりますが、とにかく暑いのが苦手なのでもうこの先10月くらいまでは短パンTシャツで過ごしていきますし、節電には協力したいという気持ちはありつつもクーラーを使って延命を図っていきたいと思います。ウクライナ戦争の影響による原油価格の高騰と供給懸念から原発再稼働の議論がもう少しされるかと思いきや、やはりリスクがあると一度認識されてしまうとそうそう危機とはいえガードは下がらないということなのでしょうか。背に腹は代えられないという状況になってからでは遅いと思うのですが、何かと判断の遅い日本の政治体制も長いこと変わっていませんし、生きている間にどの程度変わるのかみたいな長い目で見ていかないといけないのかもしれません。
政治といえば、貯蓄から投資へというかけ声が出てきましたが、一億総株主というのはどの程度現実的なのでしょうか。まず、一億総◯◯というのは最近だと一億総活躍社会みたいな話もありましたが、一億と前置きされると、総白痴、というアウトプットが出てきてしまう世代なので割とネガティブな印象を抱きがちです。元々は人口が一億人を超えたあたりで、一億総中流などという言い方がされていたのだと思いますが、一億総白痴という言い回しの良さからどうしてもこちらが先に出てきてしまいます。正直なところ、金融関係や報道、出版の一部といった割と投資余力のありそうな人たちはそもそも個別株式投資が禁じられているらしいですし、そもそも個別株式投資などというものはインサイダー情報でもないと儲からないわけで、やはりこの一億総株主云々というのは膨大になってしまった日銀のETFを国民の勘定に付け替えたいですよね、という気持ちの表れなのではないでしょうか。ちょうど日銀の出口政策も議論されて然るべき頃合いですし、長かったPKOも終りが見えてきたということなのではという気がいたします。
話は変わりますが、金融理論ではよく一つのカゴに全ての卵を入れては入れてはいけないと言われます。分散投資というのはリスクを分散することを目的としてアセットアロケーションをしましょうというものですが、日本に住み続け、そこで働き、場合によっては子育てをし、納税をし、年金を株式で運用し、さらにその上に個人投資家として日本企業の株式を買うというのは狂気の沙汰なのではという気がしませんか。世界がこれだけ緊密に結びついてしまった以上地球からは逃れられないというのはその通りかもしれませんが、為替差損を甘んじて受け入れつつ、成長力の低い国に株式投資する理由がどこにあるのでしょうか。
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