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虹の彼方へ/リベラルは飛行船に乗って

今週はうでパスタが書く。
そしてアメリカ大統領選の話はもうこのあたりでいちど終わりにしようと思う。こんなに多くのひとに影響がある話もないのだが、一方で「読んでみてくれ」というにはあまりに入り組んだ話になってしまった。
特に日本人の読者にとってはそうだろう。「そういうところだぞ」と言いたい気持ちもあるが、これはもっと長い期間をかけて、別の方法でゆっくりと叩き込んでいくつもりだ。

アフリカのカカオ農園で働く子どもたちはチョコレートの味を知らない。
だが世界有数の経済大国で生まれた我々もまたGDPの味を知らない。知っているのは苛烈な労働の味だけだ。
いずれももとより知らないのだから可哀想もなにもないが、子どもであるとないとにかかわらず労働搾取は結局はひとの命を奪うのだから防がねばならない。子どもにはすべからく教育を受ける機会が与えられるべきだというのも頷けよう。だが、二一世紀になってやっと井戸ができたような村で子どもが教育を受けたらそれがなぜ、どんな幸せに繋がるのかという議論はもう少しした方がいいと感じる。

支援の手は動かせ、だがそのあいだも議論しつづけることを忘れるな。
本当はここに文科系学部の存在意義があったはずなのだ。だが理科系の人間が重用されるとかいうこと以前に文科系の人間たち自らが日々の生活に追われて使命を見失ってしまったことを主な理由として、世界は既に混迷の極みにある。私もマークテストで入試を受けた私大出身とはいえ文科系の人間として忸怩たる思いを抱いている。我々は生活を語るのにほどほどでなければならない。

なんらかの議論を「不謹慎だ」という者がいるとき、彼/彼女は自分の価値観に照らしてそれをタブーだと表明しているに過ぎない。「それに触るな」というわけだ。タブーは危険だ。あまりにも多くの抑圧や搾取がタブーを隠れ蓑に行われてきた。だからタブーなき議論が大切だ。「そんな議論をすること自体が許されない」と言う人間はまず疑われるべきなのだ。
多くは無邪気で善良な人間であろう。だが善良であるとは単にそのタブーから「分け前」を受け取っていることに無自覚なだけかもしれない。

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