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フロンティアに未来はない/波打ち際でダンスを|Weekly

今週は、うでパスタが書く。

「おまえはここで書籍の紹介をすると言って金をもらっているクセに、ずっと自己紹介ばっかりしてるじゃないか」という声が二五〇件あまりも届いている。
クレームは、読まれている証拠だ。

あやうく路頭に迷いかけた二十代のはじめに潜り込んだ広告代理店が、まだ違法になる前のスパム、いわゆる迷惑メールを打っていた。
この広告代理店はとある風俗情報誌の関連会社で、ご多分にもれず「紙からデジタルへの移行」という社運を懸けたミッションを背負い、明後日の方向へと駆け出したばかりのところだった。

「迷惑メール」はiモード携帯の普及がすすむとともにちょうど問題化しつつあり、総務省と経産省がそれぞれ規制法・適正化法を準備中だといわれていたが依然野放しの状態であった。当時はDoCoMoのメールサーバが一日にリレーする一〇億通のメールの九割を迷惑メールが占めるといわれ、発信側はインターネットからなのでコストがかからないが受信する方は迷惑メールが着信するたびにDoCoMoへ金を払っていた。「DoCoMoタワーはスパムで建った」といわれる所以だ。
しかしいわゆるDoCoMoタワー、つまりNTTドコモ代々木ビルというあの醜悪さで際立つランドマークは二〇〇〇年九月に竣工しており、そもそも誹謗であることを割り引いても先の表現は正確でない。ただし「迷惑メール二法」の施行後もいわゆる未承諾広告やオプトインメールの配信を継続するため何年にもわたり携帯キャリアのメールサーバを研究しつづけたひとびとは、ある種の秘密を知っているだろう。

「やがて法ができ、迷惑メールが違法になればおまえの仕事はまた考える。いまはとにかくこれをやっていろ」と言われ、僕は朝の九時から夕方六時まで、日がな一日ネットをさまよい、集めたメールアドレスに向けて人妻的なサムシングを配信し続けた。ネット回線はISDNだった。

「言いにくいんだけどさ」と、はじめに僕を面接したとき「副社長」と呼ばれる若い男が言っていた。
「広告メールの配信をしてもらう仕事なんだ」
「迷惑メールですか」
「ええ迷惑メールです。正直エロいのもあります」
「こういうものですね」
僕が自分のiモード携帯に、秀逸とみなしたスパムをすべて保存してあるのを見せると男の顔は輝いた。
「やれそうですか」
「やらせていただきます」
当時僕には高田馬場の学生ローンやらカード会社やらにしめて一〇〇万円の借金があり、その日まで無職であった。

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