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ゲット・マイルド・アンド・タフ|weekly

今週は、うでパスタが書く。

世界がパンデミック状況に覆われてから、よく夢をみている。
多くのひとと同様、私にとっても現実に「夢」は失われたが、寝ているあいだには夢をみるのだから皮肉だ。これを愉快だととらえるか、残酷だと受け止めるかは感じ方ひとつにすぎない。しかし正直にいって、この感じ方というやつが人生の幸不幸を分ける、ぐらいのところまで我々は追い込まれてきている。気付いていなければここで教えるが、「追い込まれてきている」のはこの三月からではなく、二十世紀の終わり頃からだ。

舞浜あたりの巨大な遊園地にありそうな瀟洒な街並みに生まれ変わった歌舞伎町で大恋愛をして、おなじ女性に二度まで袖にされる夢をみた。
夢のなかの彼女は強く意志的で、それは逆に何か別のものに突き動かされているように思えるほどだった。ありもしない話をでっちあげ、いまから男と約束があるからと彼女は大芝居を打った。物わかりのいい、綺麗な男でいたいと思った僕は、その嘘を信じたフリをした。
めずらしく長くて整合性の高い、それこそ在りし日の新宿の一夜といった夢だった。要するに、フィリップ・マーロウ的と言ってもいい。

小説家としては遅咲きだったレイモンド・チャンドラーは、私立探偵フィリップ・マーロウの登場する小説を七本しか残していない。アガサ・クリスティーのエルキュール・ポワロは長短編あわせて八〇本以上、エラリイ・クイーンのエラリイでも四〇本あまりの作品に登場していることを思えば、名前のわりに書かれていないことを意外に思うひとも多いだろう。

まるで書きたいものを書いても評価されず不遇を託つチャンドラーそのひとであるかのように不機嫌で、ものごとを正面から受け止められないマーロウは、しかしその分おなじような人間の存在に敏感だ。だから物事はまず依頼人の訪問から作品のちょうど真ん中ぐらいまではまっすぐ進むが、そこから奇妙な屈折を見せ始める。事件は解決しているのに、マーロウは事件から離れることができなくなるのだ。

多くの場合、マーロウは身の回りに登場する異常な女性たちに心を寄せている。それは愛情に似ているが、ごく一部の例外(「プレイバック」)をのぞけば、しばしば簡単に手に入りそうになる彼女たちに触れることをマーロウは頑なに拒む。なぜならマーロウは、彼女たちがたまたま引っかかった泥濘から救い出したとしても、自分の不完全さは彼女たちにとってあらたな泥濘にしかならないと分かっているからだ。
しかしお気付きの方もいらっしゃる通り、このマーロウの姿勢にあふれているのは、実際には強い自己愛といえる。そしてそれこそがマーロウを第二次世界大戦をまたいだアメリカの西海岸で、たった七作に登場しただけにもかかわらず何度も映画化され、いまも愛される「ハードボイルド」の代名詞に押し上げた理由に他ならない。つまりアメリカのもうひとつの側面、敗者の自己愛の始末の悪さをチャンドラーは描いているのだ。

どうしようもない男だが、酒に酔っても礼儀だけは忘れないところに奇妙な結びつきを感じて友情のちぎりを交わした相手にマーロウが大立ち回りを演じさせられ、最後には裏切られたことを知る「長いお別れ」(清水俊二訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)は、あまりにも有名なセリフで幕を下ろす。

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