ホワイト・ライオット。いま、器としての大統領を満たしているものは。
今週は、うでパスタが書く。
今年もはや桜が散った。
いつのまにか枝に吹き出していた葉桜がそれに入れ代わり、途端に川沿いの風景が、まるで紙芝居のように冬から春へと変わる。目を落とせば水辺にうずくまる植栽もまた冬枯れの姿からいちどに新緑の装いへと生まれ変わっていて、古来こうした営みにひとびとは生命の力強さ、めぐりめぐる世界の因果を読み取ったのだろうと感じる。
ひとの世には決して生まれ変わらず、もう二度と戻ってこないことどもがある。だが来年もまたこうして春の訪れを見たいという思いは、そうしたことを少しのあいだ忘れさせてくれる。
こうした感慨のすべては加齢によるものだ。
アメリカ大統領選が近付いている。
近付いている、と言っても投票日は来年の十一月だ。まだ一年と七ヶ月ある。前回選挙からの進捗で表現すれば、あと三九・六%残っている。
なんの進捗かにもよるが、ほぼ四〇%というのは、たとえば仕事なら「結構あるな」という感じでまだまだ全然気が抜けない。野球だと六回表、二時間の映画でもラストまであと四七分だから、必要を感じればいまトイレへ立っても全然オーケーだ。最初はつっけんどんだった美人の相棒が主人公を相手にちょっと昔語りなんかしてメロっとなっているような時間帯だろう。
だがご存じのとおり、アメリカではすでに候補者が湧いてきている。少なくとも候補になるのではないかと目されるひとびとに注目が集まっている。
ちなみに前回、二〇一六年の大統領選に向けて共和党から出馬するとニューヨークの「不動産王」ドナルド・トランプが記者会見で表明したのは前年の六月十六日だった。今度の選挙でいえばもういまから二ヶ月たらずのことだ。もうそういう時期なのだ。
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