life and technology | weekly
「もし自動車がなかったら、道を清潔に保つために馬糞を効率的に集めて掃除をする技術が発達していたかもしれない。高速で走る馬車を描いた当時の未来図を笑うことは簡単だけれども、10年後、20年後、あるいはその先の未来の技術について私達が今言えることはなんだろうか。技術が先行するのか、人々の描く未来像が先行するのかは分からないけれど、分岐した先にある未来をよりよいものにするために、今ある技術をどう変えていけるのか、今の生活の何を変えていけばより多くの人の幸福につながるのか、というのを考えるのがこの講義の目的です。
先生は、とまあこれは定番の話だけれども、と前置きをしつつ技術史の話を始めた。その夏の集中講義はオンラインで行われ、先生は誰もいない講義室でカメラに向かって用意してきた話をしていた。事前に配布された資料は海外製のプレゼンテーションアプリで作られたもので、クリックする毎に画面が思いもよらぬ方向に転換し、見ていてとても楽しいものだった。
対面で行われる集中講義もそこまで質疑応答が盛んなものではないのかもしれないけれど、カメラの向こうの反応が分からないでする講義というのは、なかなかペースが掴めないようで、先生は途中何度か同じ話をしながら、ここが大事なんですよね、人類の技術的な転換点になったんです、と頷きながら言っていた。3日目ともなると先生も慣れてきたのか想像の聴講生たちに対してジョークを飛ばすようになってきた。パラダイム・シフトという言葉が使われ始めた経緯や、それがその後どのようにしてシリコンヴァレーのバズワードに堕ちていったのか、という話。時代を前後しながら、世界各地で散発的に起こる科学的な発見と技術的なブレークスルーに先生は興奮し、時にはそれが招いた争いや残酷な帰結を大いに嘆きつつも、どうすれば技術の革新と人間の生活の質の向上が結び付けられ、平和的に発展していけるのかについての持論を展開していった。最初のうちは概論的な話で退屈かと思っていた集中講義だったが、先生はSFの引用や実際に起った事故や事件のエピソードを織り交ぜつつ、科学技術というものがいかに人々の思考を変えてきたのかという話を分かりやすくしてくれた。それは、今の自分が当たり前だと思うことが、ほんの数年前までは技術的にも不可能で、一般的ではなかったことや、一度当たり前になってしまったものを元に戻す、あるいは使い方を変えるのがいかに困難か、という人間の生態についての洞察に満ちたものだった。昆虫や動物、植物の生み出した天然のテクノロジーに起源を持つものが、いかにその進化の歴史の中で洗練された美しさにたどり着いたのか、という話は身近な蜘蛛や鳥への見方を改めてくれた。そして、機械仕掛けの人形や造形物に命を吹き込む、またアニメーションという言葉の語源についても触れつつ、ピノキオの見どころや、心を持っているかのように振る舞う人工物と人間との関わり合いを描いた数多のアニメーション作品の引用が怒涛のごとく押し寄せ、先生の話はどんどんと淀みなくなり、気がつくと6日間の講義は最終日を迎えていた。
人間だけが道具を使うわけではありませんが、人間ほど技術に依存し、またその生活を大きく変化させた生き物もいません。これもまたよく言われることですが、道具や技術を使うのは人間です。道具に善悪はない、とも言われます。しかし明確な悪意を持って生み出される技術もありますし、人間自体が持つ悪意というものを増幅するような技術というものも存在します。技術の普及は、量産によって一気に達成されることもあります。しかし人々の思考はそれほど速くは変化しません。そこには常にギャップがありますし、技術の発展は人の心の成熟を待ってはくれません。使うはずの道具に心が影響されるということはよくあることです。」
彼女は音読をやめて少し首を傾げて、黙読で気になった箇所を読み直すと、こちらに向き直った。窓の外は珍しく晴れ渡り、200日い続いた砂嵐のあとを感じさせないスッキリとした青空が広がっている。1年が12ヶ月、365日周期でカウントされていた頃でいえば、今はちょうど8月に入ったところで、季節でいえば夏にあたる。何度かの大きな気候変動を経て季節の周期はめちゃくちゃになってしまい、公転も365日からだいぶズレてしまった。
彼女と私のような古文書の管理職は、過去の文献を紐解きつつ、その断片をデータベースに保存し直していくことが主な役割だ。保存されたデータは、我々がどのようなものに郷愁を覚え、どのような過ちをくり課さないように畏怖し、また、何に心の安寧を見出すのか、といったコントロールの材料になる。
膨大なデータベースにアクセスし、データをロードすることと、そのデータがどのような文脈においてどのような意味を持っているのか、を理解することの間には大きな隔たりがあり、もはや人間の腕は処理できない。思考は自由なように見えるかもしれないが、情報のオーバーフローによって容易に乱されてしまうし、パターン認識は本来ないはずの法則性を見出してしまう。生物的な制約というものがより明確に意識されるようになり、人間が人間であるということそれ自体がテクノロジーの制約になってしまうということが理解されてから数千年が経ち、ようやく人は己の立場というものを受け入れられるよになりつつある。人が技術の方向性を決める時代はとうに過ぎ去り、技術が人の拡張する方向性を規定するようになっているのだ。
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キノコです。
Good summer afternoonを過ごしておられますか。
Summer afternoonの美しさは万国共通なのかは分かりませんが、少なくとも四季のあるエリアにおいては、夏の午後、というのはある種の美しさをもつものだと捉えられているようです。うだるような暑さの昼から、夕暮れにかけての空の様子、風。命の煌めきと揺らぎのようなものをそこに感じない人がいるでしょうか。ちなみに、うだる、と、うでる、はちょっと似ていますよね。お察しの通り、茹で上がるような、という意味で語源は同じです。
世間では感染者数の増加や芸能人の結婚や離婚が話題の中心を占めているようですが、キノコはみなさまご存知のように10日ほど前に引越しをしまして、新環境に慣れずにストレスを溜め込んでおります。Amazonの誤配を返品するのにも、前の家でなら目をつむっていてもできたのに、いまはいちいち伝票を発掘し、郵便局の場所を調べ、靴を履き、扉を締め、服を着ていかなければならないわけで、非常に大変です。環境に適応するのにかかるのは2週間から2ヶ月程度みたいな話がありまして、慣れてきたかなと思った頃には子どもが夏休みに入りまたペースが乱されるという感じです。
4−6月の経済活動の指標発表もまた、悪いと分かっていたのに株価が下げるみたいな状況です。想定より悪い、って何を想定していたんですか、という話なのですが、世界はもう新秩序に向かっているわけで、いまだにNASDAQ関連のハイテクに投資していない人間は投資のセンスがないという自覚を持つべきでしょう。それこそ、1秒でも早く道を明け渡すべきです。
というわけで、前置きが長くなりましたが、本日はテクノロジーと生活、という話です。
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