本音と建前 | 2022-04-23
表と裏、内と外、本音と建前といった形で顔や言葉を使い分けるというのはコミュニケーションにおいてはよくあることだったはずですが、最近ではこうした使い分けというのが機能しないというか、表と裏の境がなくなってきているのかもしれません。東京オリンピック関連の失言問題でも、企画会議などの本来であれば公共に属さないような内容も取り沙汰されて問題とされてしまうというのはいかがなものかという意見も散見されましたし、今回の牛丼事件においても、私学の講義という場であったことは少しだけ気になるところではあります。まあどのような場でも品行方正であれば何も問題にはならないわけで、インターネットによって全てが接続されてしまった以上はあらゆる場所が公共空間になったという意識を持たねばならないのかもしれません。ちなみに、本音というのは露悪的なものであるべきだ、というような性悪説に基づく話をされることもしばしばありますが、昔から裏表のないような人というのはけっこういたような気がいたしますし、何考えてるか分からない、と言われがちな人は実際には何も考えていないという場合も多いということはもっと知られてもいいのではないかとは思います。
ビジにネスにおいて戦略的であることが称揚されるようになったのはビジネススクールの流行と、産業構造の変化が両輪だったのだろうなと思うのですが、戦国時代でも戦略はあったでしょうし、パリピ孔明の時代にも戦略はあったわけで、ようはビジネスに戦争のメタファーが多用されるようになったということでもあるのでしょう。これは、対自然の農業や資源採掘などといったビジネスではなく、対人間が中心のビジネスが増えたことが一因ではないかと考えられます。産業のサービス業化ということです。サービス業はしばしば感情労働とも言われ、長く従事していると気が狂うことでも知られています。広告代理店の営業職は歩くのが速く寿命も短いことは有名です。最近読み始めた正直不動産という漫画では嘘がつけなくなってしまった不動産屋さんが活躍するのですが、設定が面白いなと思いましたし、実際にメリット・デメリットを忌憚なく伝える不動産屋さんというものがいたとしたらそれなりの支持は得られるのではないでしょうか。まあ気持ちよく買い物をしたいという人も多いとは思うので難しいかもしれませんが。
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