データの見えざる手 | 2022-06-1
コロナの影響でオンライン活動が劇的に増えたおかげか、データ収集も上手く行ったようでその手の研究成果がたくさん出てきているように見受けられます。ソーシャルネットワークでの繋がりを示すソーシャルグラフや、デマの広まり方を調査したものもあり、なかなか興味深いなと思いつつ読んでおります。中でも、エコーチェンバー現象についての追試というか、実際エコーチェンバーから無理やり人を出してみるとどうなるのか、という話を描いた『ソーシャル・メディア・プリズム』では、人々はエコーチェンバーの中にいる時よりも反対意見に晒された時の方が意見が先鋭化しやすいという結果になっており、炎上することで普段接しない層からリプライを受け取ることで発狂するメカニズムの一端を垣間見たような気がいたしました。まあ実際に人がムキになるというのは反論された時で、顔が真っ赤ですよ、などと言われようものなら烈火の如くその反論への反論を繰り返したりしてしまうというのは自分のことではなくとも思い当たるところはあるのではないでしょうか。
コロナをきっかけにデータ監視が加速するという見解もあり、これもなかなか興味深いというか、公衆衛生のために、という名目でデータ利用に同意した経験のある方も多いと思うので強ち無茶苦茶な話でもないなと思いつつこちらも読みました。データは提供しつつ、またそれが政策などに反映されるのであればよいのですが、個人個人は統合されたデータにはアクセスすることは恐らくないでしょうし、自分のデータがその他大量のデータの中でどのような位置づけを持つのかというのを明確化するのは無意味ですし、まあこういったデータの取扱いをめぐる収集する側とされる側の非対称性というのはどこまでいっても無くならないのではないかと思います。
データサイエンス自体は定着期に入ったのか以前ほどセクシーだとか、稼げるという話も聞かなくなってきました。物流や小売ではもはや当たり前になってしまったのかもしれませんし、思ったより儲からないのでプレーヤーが減ってしまっているのかもしれません。オンライン広告でもTVCMでも視聴データやクリックデータなどを元に最適化をしていくというのは当たり前になりましたし、やはり浸透したということなのでしょう。
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