見出し画像

白い旗/二段ベッドの下|weekly

今週は、うでパスタが書く。

僕自身はゼロから起業したという経験がない。
だがそれでも起業というのはおそらく多くのひとにとって、僕が思うよりも縁遠いことなのだろう。大手企業で働くかつての同級生たちと酒を飲んでいても、独立起業のことになるといきなり話が噛み合わなくなることがある。起業というのがおしなべて、株式の公開を目指す壮大なレースに参加することだとみんなが思い込んでいるような節もある。

とはいえ、いわゆる就職氷河期が残したもののなかでせめてもと思うのはやはり若者の起業文化だ。それまではせいぜい「脱サラ」とか言われて、三十代や四十代のおっさんが新卒で入った会社を辞めることすら結構な冒険だったのだから、二十代で会社を飛び出したり、ましてや就職もせずに起業したりなんていうのは良くて狂気の沙汰、悪ければヤクザになったぐらいの扱いだったのだ。そういう意味では時代は変わったし、これはいいことだと思う。

しかしたとえば道端の空き缶を二百個拾ってどこかへ持っていくとお金に替えてもらえるというのがある種のビジネスだとするなら、ここでいう起業というのはたとえばそれに類する行為にすぎない。いまも生き残るアメリカの大手IT企業の多くがガレージや、それに等しい狭苦しいオフィスで起業されたことの意味を日本のひとたちはあまりよく理解していない。メディアに踊る「何億円を調達」とか「なにやらを買収」といったヘッドラインだけを見て起業家に眉をひそめるのはディズニーランドを見てアメリカを嘆くようなものだ。
たとえば株式を取引所へ上場して世界にその名が轟くようになる企業一社の陰に果たして一万社の死骸が転がっているのだとしたら、「起業家」というのはどこにいるとあなたは思うだろうか。たとえばあなたが料理人だとして、テレビに映るカリスマシェフ(あるいはシュフ)を見たら、「本当に料理人と呼べるのは彼らしかいない」と思うだろうか。

たったひとりしか立つことのできないナンバー・ワンの地位を求めて誰もが起業し、争うのならば、世の中にこんなに多くの会社は生まれていないだろう。そしてこれほど多くの会社が存在しなければ、株式市場に日の目を見るその一社もまた生まれなかったというのが事実であろうと思う。そんなことを伝えたいと思って、僕は雲井さんと彼の会社のことを書いた。いまももっともよく読まれている記事だ。

ひとつ覚えておきたいことがある。
それは、「会社も家庭も、実のところは蓋を開けてみなければわからない」ということだ。
日本もそろそろ途上国から抜け出して、金がすべてを解決してくれるというのは幻想だというのはほぼほぼ、常識となった。しかし金があれば簡単に片付く問題というのもいくらだってある。隣室から漏れる騒音、厄介な通勤時間、伊勢丹メンズ館の態度、PCのスペック、歯ならび、ネットで陰口をたたかれない程度の自家用車、などなど数え上げればそれこそきりがない。
金のかかった時計、金のかかった車、金のかかった家やオフィスを見たときに我々が想像するのは、「これだけ金があれば、小さな問題などとっくに解決されてしまっているのだろう」ということだ。我々の人生というのは往々にして無数の小さな問題に埋め尽くされているものだから、もしもこうしたほんの小さな悩みから解き放たれることがあれば、自分にはいったいどれほどの可能性が開けることだろうかということをひとは日々考えながらFXから出たり入ったりを繰り返すが、この想像はそもそも誤謬である。

あの会社はあんなにカッコいいひとを役員に迎えてあんなにお洒落なオフィスで仕事をして、あんなに立派なプレスリリースを出している。あの家はあんなところに住んであんな車に乗って、旦那はあんな服を着てあんな仕事をしてあんな靴を履き、嫁は嫁であんな車に乗ってあんなところでランチをしてあんな爪であんな髪で、やはりあんな靴を履いている。
こうした羨望は、突き詰めれば自分自身の可能性に対する過信に他ならない。ほとんどの人間は、唸るような金を持っていてすら何ひとつたいしたことを成さず、学生時代にちょっとやっていた楽器をまた習いはじめたり、クルーズ船で病気をもらったりしつつ這い上がった高みから降りることもできずにもがき苦しんで死んでいくだけだ。
そして誰にとってもそもそも「生涯安泰なだけの金」などは存在しない。保有する資産の規模に応じてライフスタイルは変容し、その生涯に必要な金額は増えていくからだ。信じられないかもしれないが、使い切れない額の金を手にした人間は往々にして、ひとに金を配りはじめる。こうしてアキレスは永遠に亀に追いつくことができない。

すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。
アンナ・カレーニナ」(トルストイ)

つまるところ幸福がどれも似た姿をしているのは、それが我々の貧弱な想像力から生まれてきたものに過ぎないからだ。他方、不幸は自ずからディテールを語り出すという性質を持っている。

ここから先は

3,672字

¥ 300

期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

九段下・Biblioteque de KINOKOはみなさんのご支援で成り立っているわけではなく、私たちの血のにじむような労働によってその費用がまかなわれています。サポートをよろしくお願いいたします。