多様性への希望を絶やさない。朝井リョウ『生殖記』
ネタバレ含みます。
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「多様性」に切り込む朝井
「LGBTは生産性がない」一昔前、自民党議員によるこんな発言が問題になった。以下記事を参照されたい。
朝井が『生殖記』を書くとき、この発言が頭にあったに違いない。いや、他の発言かもしれない。そんな発言が、こと日本においては多すぎる。
本書『生殖記』は、そんな「生産性がない」という差別に真っ向から批判する本である。そして、本書の特徴はなんといっても、同性愛者である「個体」についた男性器が語り手であるという仕掛けだ。その仕掛けは出オチかと思ったが、そんなことはない。生殖器ゆえに、人間よる特殊な社会関係のロジックから一歩引いたところで、人間模様を観察できる。本書を通じて浮かび上がるヒトの社会の異常さは、私たちの目を引く。
もちろん、本作は文学であるから、文学としての批評もできる(生殖器とその主・尚成の距離感の描き方とか)。
だが、ここではあえて社会評論として読んでいきたい。
資本主義とLGBTQ➕差別
同性愛者が親にカミングアウトするとき、なぜ謝らなくてはならないのか。男性器は端的にこう述べる。
結論から言えばそれは、子個体による「私は同性愛個体です」という表明は、特に日本に生息する個体にとっては共同体の縮小宣言と同義だからです。
(中略)
[尚成がカミングアウトしなかったのは]神を設定していないヒトの生息地では、共同体が目指すものを阻害する個体は”悪”と見做されるからです。そして、悪とみなされた個体は、その共同体から追放される恐れがあるからです。
本稿の執筆者である私にも非常に納得のいく説明である。急に私的な話となるが、20代半ば、周りの人間が結婚し始めた。もう子供を産んだ友人もいる。そんな状況となっては、婚約者もいない私に対し、親戚からの圧が強い。そう感じられる。たとえ私がジェンダー平等の観点から日本の結婚制度には乗っかりたくないといっても、「面倒なこと言ってないで結婚しろ」というセリフがこぼれ落ちそうである。
これは本書の尚成や私だけでなく、多くの人間が感じているのではないだろうか。たとえ同性愛者でなくとも、結婚をしないという選択は、「多様性」のある社会のなかでとりうるものの一つである。結婚して子供を産んでもいいし、「異性」との恋愛をしなくてもいい。恋愛すらしなくてもいい。そうであるはずなのに、私たちは、成長や発展を強制する社会で爪弾きにされる。子供を産まないのなら、共同体の拡大に発展できないのだから・・・。
それでも「多様性」を諦めない
こんな世の中では、尚成のようにだれにもバレないようにヒソヒソと生き続けることも十分に可能である。そのような行動をとったほうが精神衛生上良いということもできるだろう。
しかし、朝井の作品の魅力は、真の多様性には絶望的そぐわない現代社会でも、希望を失わないことにあるように思う。ここで映画化もされた『正欲』について振り返ってみよう。『正欲』では、「水」に性欲を抱く人物たちが描かれており、当事者である諸橋大也は自分が理解されないで生きる存在であることを確信していた。それでも、諸橋を理解しようとするマジョリティ側の人間・八重子がいたからこそ、諸橋は少しばかりの希望を抱けるようになる。誰にも理解されないという絶望から脱出できたのだ。もっとも、その大也は不運にも逮捕され、その絶望に戻ってしまったのかもしれないが・・・。
本作での尚成はこの諸橋大也に似ている。尚成は自分のセクシュアリティについては決して理解されないと思っている。それでも、本作においては、『正欲』の諸橋と同じように、多様性へ向けた希望が見られる。尚成の同僚である多和田が同性婚実現のためのNPOを設立するというシーンがあった。それは希望であったに違いない。また、医療の進化に伴い生殖を人間に頼ることなく行えるという医学的な事実も尚成を勇気づけた。(生命倫理的に、これは非常に論争的なので、現実としては、称揚するのは控えたほうがいいだろう)。
朝井作品は、自身の文学的才能を存分に生かしながら、「多様性」を取り巻く諸問題に鋭く切り込む。その指摘は、多様性やジェンダー平等を掲げる人たちにとってすら不都合でスキャンダラスなものであることもある。というか小説を通じて、そういった不都合な側面を世に問うていこうという朝井の姿勢は、各インタビューからも伺える。そこで私たちは、「多様性」を進めると大変なことになるから止めよう、と諦めてはいけない。むしろ、朝井が投げかける問いに正面から答えていくことで、本当の意味での多様性が実現するのではないだろうか。
多様性という聞こえはいいものの、実現にこれほど障壁のあるものもない。実現にあたって、不都合な側面が露呈することもある。大きく困難なテーマを前に足がすくむなかでも、朝井はうち負けず、挑み続ける。私たちもそれに追従したい。