人の記憶、神の記憶(1)
記憶は人生の財産
過去の苦しみが、後になって楽しく思い出せるように人の心には仕掛けがしてあるようです。(星野富弘)
この言葉を聞いて、「その程度の苦しみしか味わっていないとは、幸せなことだ」と思う人は、星野さんが頸椎損傷で首から下を全く動かせないと聞いて驚くことでしょう。
思い出に関する研究によれば、高齢者は、若者と比べて、不快感情を伴う出来事をポジティブに捉えようとする傾向が強いことが分かっています。
それは、人生経験などにより、ポジティブな面や、そこから学べたことなどを見られるようになったので、その出来事の「意味」が変わったからなのかもしれません。
星野さんの場合は、まだ20代でしたが、聖書やイエス・キリストを知ったことで、事故とそれに続く苦しみという辛い思い出にポジティブな意味が加わったのでした。
詩篇作者も、苦しい経験から大切なことを学べたので、それは良いことだったと書いています。
苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。(詩篇119:71)
思い出については、幾つもの調査研究により、もう一つ興味深いことが分かっています。
それは、短時間の内に思いつく人生の記憶は、「楽しいこと」が6割、「楽しくないこと」が3割、「どちらでもないこと」が1割だということです。
神が人間の記憶をそのようにしてくださったのは、人生が辛すぎるものとならず、楽しんで生きることができるようにでしょう。
そして、不快な思い出も、危険を回避したり、成長・進歩を遂げたりするために必要なものです。
大切なのは、楽しい思い出であれ、不快な思い出であれ、それを人生の財産としていくことです。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。(ローマ8:28)
神の愛を信頼し、苦しい経験でさえも意味があって、神はそれを無駄にされないと信じられるなら、その経験もまた私たちの財産となります。