どこに焦点を合わせていますか
私たちの目がいかによくできているかは、驚くほどです。単にものの形をとらえるだけではなく、色を認識できるし、周りの明るさに応じて取り込む光の量を調節することもできます。
また、見るものの距離に応じて焦点を自動で合わせてくれるので、私たちは見たいものに集中することができ、視界の中でかすんでいくそれ以外のものに、あまり気を取られずにすみます。
そういった目の機能について考えていると、『目を上げて主の御顔を(Turn Your Eyes Upon Jesus)』という賛美歌を思い出しました。英語の歌詞の最初の部分を簡単に翻訳してみます。
この賛美歌を作詞作曲したのは、ヘレン・H・レメルという人です。音楽の才能があった彼女は、43歳の時にボーカルトレーニングのためにドイツへ渡り、そこで知り合った男性と結婚して、数年後にアメリカに戻ってきました。
それから音楽活動を続けていたのですが、病気にかかって、失明しました。その上、目の見えない妻を持つことに耐えられなくなった夫に、捨てられてしまったのです。それでもヘレンは、神への信頼を失うことがありませんでした。
さて、ヘレンよりも20歳ほど年上のリリアス・トロッターというイギリス人女性がいました。優れた画家であり、アルジェリア(アフリカ北部)への宣教師となった人です。ある日、瞑想中に神からあることを示され、それをもとに、『焦点を合わせて(Focussed)』というパンフレットを出版しました。
それをどこかで見つけた友人がヘレンに読んでくれ、特にこの一節が彼女の心に残りました。
この言葉にインスパイアされて、ヘレンは『目を上げて主の御顔を』を書いたのです。それはまさに、彼女の信仰の宣言でした。
ヘレンは常に「暗闇の中にいて、光が見えない」状態でしたが、魂の目をイエスに向け、イエスを見つめ、イエスに焦点を合わせることで、光と自由を見つけていました。そして、97歳で天国へ行くまで賛美歌を作り続けており、その数は500篇にものぼります。
私たちも、暗闇の真っ只中にいると感じることがあります。でも、暗闇に焦点を合わせても、光は見えず、かえってその暗闇に囚われるだけです。「祈ったけれど、心は重いままで、光がまったく見えない」と感じるなら、それは、祈る際に、問題に焦点を合わせているからかもしれません。
問題がどれだけ大きくても、神とその力はそれよりはるかに大きいのですが、問題に焦点を合わせていると、問題のほうが大きく思えてしまいがちです。
祈りにおいて、また日々の思考において、私たちは何に目を向けているでしょうか。私たちの焦点は何に合わせられているでしょうか。目の前にある問題でしょうか。それとも、目に見えない神、また神の約束や力でしょうか。
私たちが問題に圧倒されそうな時、闇の深さや問題の大きさにではなく、私たちに耳を傾けてくださる救いの神の偉大さに焦点を合わせるなら、主の光によって闇がかすんでいくことを思い出せますように。