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「妨げる者」が逃げ去る時
今年の初め、新年のモットーについて祈った際、まずは旧年中に神が私の人生においてなしてくださったさまざまなことを思い出して、神に感謝しました。
声帯にできていた肉芽と、長らく患っていた皮膚アレルギーが癒やされたし、他にも祈りの答えや主の導きを多く見られた一年だったと思います。また、バイブルラインを通じて多くの方に聖書のメッセージをお伝えできたのも、嬉しいことです。
しかし、私の人生に一番のインパクトを与えたのは、12月に起こった特別な経験で、それはパウロのこの言葉を思い出させるものでした。
わたしたちは、あなたがたの所に行こうとした。ことに、このパウロは、一再ならず行こうとしたのである。それだのに、わたしたちはサタンに妨げられた。
何でもかんでもサタン(悪魔)のせいにすべきではありませんが、パウロには、この件についてサタンの妨げを受けたと断言するだけの理由があったのでしょう。私にとっても、12月の経験ほど、サタンの妨げを感じさせたものは、今までありませんでした。
ところで、サタンは大きな力を持っていますが、クリスチャンにとっては、まったく恐れるべき存在ではないので、そのことを覚えておいていただきたいと思います。(また後ほど説明します。)
12月の中旬、重要な用事があって、知人に会いに行くことにしました。「重要」というのは、大切なものを届ける必要があったからであり、何よりも、そうするよう神から示されたからです。
ところが、前夜になって、いきなり歯茎が痛くなり、痛み止めを飲んでも一向におさまりません。それほどの痛みを味わったのは、久しぶりのことでした。普通なら、ためらうことなく、アポをキャンセルし、代わりに歯医者へ行くところでしょう。
でも、簡単にそう決断すべきだとは思えませんでした。なぜなら、その数日前から、すでにいくつもの不思議な「妨げ」が起こっていたからです。
物事がうまく行かない時、神が何らかのいい理由によって、私たちの計画を止めようとしておられるということもあるでしょう。しかし、この場合、他のすべての妨げ一つ一つについて、神は思いがけない方法で解決策を示してこられました。
そこで、これらの不思議な妨げは、サタンが送ったものに違いないと思ったのです。日程を変更することなく、この日に会いに行くことが、神の計画において大切なことであり、大変な状況を見て諦めるべきではないのだと。
そして翌朝、痛みはだいぶおさまっていました。ただ、完治したわけではなく、外出中に悪化する可能性は大いにあります。知人の家はかなり離れているので、歯医者に行ってから出発するのでは、間に合いません。
その日、会いに行くべきかどうか、祈って神に尋ねると、「敵が洪水のように押し寄せてくる時、主の霊はそれに向かって旗を掲げられる」という、英語の欽定訳聖書からの言葉をいただきました。(イザヤ59:19後半。日本語の聖書では、別の訳し方がされています。)
たしかに、敵であるサタンは次々と私に攻撃を仕掛けてきましたが、神ご自身が旗を掲げて私のために戦ってくださる(そして、すでにそうしてこられた)のだと確信しました。
そこで、予定通り知人に会いに行ったところ、サタンの妨げは止み、予想や期待をはるかに超えて良い会合となって、主の目的が果たされるのを目の当たりにしました。痛みも抑えられたままです。そして翌日、歯医者に行って、適切な処置を受けました。
(この時は、神の明確な導きがあったためにこのように行動しましたが、普段はしません。体調が悪い時には無理しすぎないことをお勧めします。)
サタンという言葉の意味は、「敵対する者」「妨げる者」であり、その名の通り、神と私たちに敵対し、神の計画を妨げようとします。しかし、サタンは神と対等の存在ではありません。神と比べればまったくの無力であり、神の許しがなければ何もできないのです。
サタンはすでに敗北しており、どれだけ反抗し、どれだけあがこうとも、最終的には神が勝利を収め、神の計画が実現します。昨年の12月、私は自らの経験によって、そのことを再確認しました。
私たちが神に従い、自分の計画ではなく神の計画を成し遂げるために、この「妨げる者」に立ち向かうなら、サタンは逃げて行きます。
そういうわけだから、神に従いなさい。悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。
一年の終わりに、とてもいい教訓を学ばせていただき、感謝しています。