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あなたが小さい者でも

クリスマスまで1か月半となり、ふとミカ書にあるこの言葉に目が留まりました。

しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちから わたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。

(ミカ 5:2)

これは、メシア預言と呼ばれるものの一つで、イエスがメシア(救い主、ギリシャ語でキリスト)としてベツレヘムで生まれることを預言しています。

エフラタは、ベツレヘムの昔の名前か、ベツレヘムに吸収合併された町の名前だと考えられています。(創世記35:19ルツ1:1-2

当時のヘブル人(ヘブライ人)は部族ごとにそれぞれ相続地があり、部族はさらに氏族にわけられていました。そして、ユダ部族の中でも、とりわけ小さい氏族がベツレヘムに住んでいたのです。

実は、イスラエルの王となったダビデも、この預言の数百年前にここで生まれています。ベツレヘムは、人口や富、華やかさの面では小さくても、ダビデや来たるべきメシアの生誕地としての栄誉や重要さの面では、小さくありませんでした。

確かに「小さい者だが」、神が用いてくださるなら、決して小さくはないのです。

そして、700年後、メシアが生まれたと聞いたヘロデ大王は、祭司長や律法学者を集めて、どこに生まれることになっているのかと尋ねました。すると、彼らはミカの預言を少し言い換えて、こう答えています。

それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、「ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう」。

(マタイ2:5-6)

もう存在しない「エフラタ」を「ユダの地」と言い換えたのは、聖書に詳しくないヘロデ大王が理解しやすいようにだったのかもしれません。

また、「氏族」を、氏族の指導者を指す「君」と言い換え、イスラエルを治める者を「牧者」と呼んでいます。彼らにとって、牧者(羊飼い)とは王の象徴であり、イエスもご自身を「よい羊飼い」と呼ばれました。(エゼキエル37:24ヨハネ10:11

そして、ミカの預言では「小さいものだが」となっていたのを、「小さいものではない」と言い換えています。反対のことを言っているようですが、先ほど説明したように、実際には同じことを言っています。

小さいものだが、小さくはない、それがベツレヘムであり、イエスご自身でした。イエスは、首都エルサレムではなく小さな町ベツレヘムにある小さな家畜小屋で生まれ、心地よいベッドではなく小さな飼い葉桶に寝かされました。

そんな小さな、一見取るに足りないものとして生まれたのが、実は偉大な神の御子であり、メシアだったのです。

使徒パウロは、自分は「小さい者」だと自覚していました。(1コリント15:9エペソ3:8)パウロという名前自体が、小さい者という意味です。でも、そんな小さい者を通して、神は偉大な働きをなしてくださいました。

そして、パウロは、私たちのような小さい者、弱く、取るに足りない者こそ、神は用いてくださると教えています。

兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

(1コリント1:26-29)

小さい町ベツレヘムを選んでメシアの生誕地とされた神は、弱く小さい私たちを用いて主の力を現してくださるのです。

主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

(2コリント12:9)



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