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恩送り

『ペイ・フォワード 可能の王国』(原題:Pay It Forward)という感動的な映画があります。

誰かから親切や思いやりを受けたなら、相手にも同じようにする、つまり善意を「返す」(ペイ・バック)のは普通のことですね。

この映画は、それをまったく関係のない人に「送る」(ペイ・フォワード)ことによって社会を良くしていくことをテーマとしています。

キャサリン・ライアン・ハイドが原作を書く20年前、運転中の車が突然動かなくなり、ボンネットから火を吹き始めました。

脱出はしたものの、どうすればいいのか分からずに立ちすくんでいた彼女のもとに、2人の見知らぬ男性が駆けつけて消火作業をし、また別の人が消防車を呼んでくれました。

しかし、すべてがおさまり、礼を言おうとした時に、助けてくれた人たちの姿が消えていました。

彼女は感謝を伝えられなくて悔やみましたが、自分の受けた善意を他の人に還元していくことを思いつき、また、それをテーマに小説を執筆したのです。

日本語には、ペイ・フォワードに対応する「恩送り」という素敵な言葉があります。

誰かから良くしてもらった時、相手にも良くするのが「恩返し」ですが、他の人にも同様に良くするのが「恩送り」というわけです。(「恩に着せる」のように貸しを作るわけではなく、純粋な善意の行動のことです。)

恩返しとともに恩送りをしていくなら、たしかに暗い社会が明るくなっていきそうですね。

ちなみに、「恩」を辞書で引くと、「恵み。いつくしみ。親切でありがたい行為」とあります。

私たちは、周りの人だけではなく、神からも、実に多くの恩(恵みやいつくしみ)を受けています。

主よ、あなたは恵みふかく、寛容であって、あなたに呼ばわるすべての者にいつくしみを豊かに施されます。(詩篇86:5)

私たちの命も、体も、空気も、自然も、神はすべて無料で与えてくださったし、日々私たちを愛し、赦し、親切にしてくださいます。

そして神は、私たちがその恩を他の人に送ることを望んでおられます。

実を言うと、恩送りは、有名なたとえ話にあるように、神に対してしていることであり、神への恩返しの一つの形なのです。

(王:)あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれた・・。

(人々:)主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか。

(王:)あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。(マタイ25:35-40)

逆もまた真であり、他の人に親切にしなかった人たちは、こう言われました。

あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである。(マタイ25:45)

そして、神から赦されているのに、他の人を赦さないことは、別のたとえ話の中で、神への恩知らずとして描かれています。

わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか。(マタイ18:33)

神が私たちにされたように、私たちも他の人に親切にし、愛と赦しを示すべきです。

わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。(ヨハネ15:12)
主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。(コロサイ3:13)
あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。(ルカ6:36)

このように、神は私たちが、自分の受けた恩を忘れずに、恩送りの生き方をするよう望んでおられます。

私たちが皆そのような生き方をすれば、世界はもう少し住みやすくなり、もう少し天国に近づくことでしょう。

そうなるかどうかは、私たち一人一人にかかっています。


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