人生の旅路を導くナビ
聖霊のナビ
日本ではクルマ所有者の8割がカーナビを装着しており、スマホやタブレットをカーナビ代わりにしている人も含めると、かなりの人が当たり前のようにナビに頼っているそうです。
特に初めての道では、ナビや地図がないと、なかなか正しい場所にたどり着けませんよね。
人生の道も同じで、自分の知恵や分別だけで進んでいると、簡単に道に迷ったり、変なところにたどり着いたりしてしまいます。
車にナビが搭載されていることを覚えて、それに頼れば目的地へ行けるように、主が自分と一緒におられることを意識して、もっと当たり前に聖霊の導きに頼るなら、人生の旅路も進みやすくなります。
主の導きよりも、自分の分別に頼った時
若い頃、引っ越しのために家探しをした時のことについて、お話したいと思います。(しばらく前に簡単に書いたことがありますが、今回はもう少し詳細を。)
引っ越し先となる市の情報はあまり知らず、家探し自体が人生初のことだったので、ただただ、正しい場所の正しい家に導いてくださるよう、何度も祈りを捧げました。
それはまだ、ネットで物件探しのできない頃だったので、その市まで行って不動産屋を当たることにしたのですが、出かける数日前に、ある夢を見ました。
市の中心から離れた寂しい駅のプラットホームの夢で、そこには駅名の書かれた看板が立っています。はっきりしていたのは、それが到着駅ではなく、途中の駅だということでした。
私は通常、目が覚めた途端に夢を忘れてしまうのですが、この夢は明確に記憶に残り、しかも、主からのメッセージだという強い印象を受けました。
そこで、祈って主に尋ねてみると、その駅とは、新居のある鉄道駅のことではなく、私が利用することになる不動産屋のことだと示されました。新しく家を見つけるために、通らなければいけない途中駅のようなものだということです。
電車でその市に到着し、調べてみると、はたしてその駅名と同じ名前の不動産屋が存在するのがわかりました。夢と同じく「市の中心から離れた寂しい」ところに。
でも、わざわざ歩いてそこへ行って、もし良い物件がなければ、たくさんの時間を無駄にし、歩き疲れて、また戻ってくることになるかもしれません。
そこで私は、それとは逆の方向に伸びる商店街を行くことにしました。その不動産屋よりも大きな業者がたくさんあるのは間違いなさそうでしたから。
たしかに、商店街にはたくさんの不動産業者があり、そのすべてを当たりましたが、好みの物件は見つかりません。
商店街の外れまで来た頃には心身ともに疲れ切ってしまい、「ここで駄目なら、今日はあきらめるしかないな」と言いつつ、最後の不動産屋に入りました。
すると、「うちにはないけれど、知り合いの業者に、あなたの探しているような物件がありますよ」とのことです。
そして、車で連れて行かれたのが、なんと、神が最初に示された例の不動産屋だったのです。私がどれだけ驚いたか、想像してみてください。
紹介してもらった家は、まさに私の求めていたもの、いやそれ以上で、パーフェクトとしか言いようのないものでした。
まさに、主の導きは完全です。私の疲れはすっかり吹き飛び、心が喜びと感謝で満たされました。
この出来事から学んだこと
その日、それほども時間がかかり、それほども疲れ切ってしまったのは、主が示された場所に向かって信仰によって歩むことをせず、目に見えて可能性がありそうな方向に歩んだことでした。ちょうど、この聖句と反対のことをしたのです。
私が主に対して抱いていた信頼は、夢で見た名前の不動産屋があるか調べる程度のものであり、「心を尽くして主に信頼」していたわけではなかったので、目的に至る道はまっすぐなものとはならず、完全な方向転換が必要になりました。
自分の信仰の薄さを痛感した出来事でしたが、それと同時に、主の優しさを身にしみて感じました。
私が迷子の羊のように、主が示された道とは反対の方向に進んで疲れ切っていた時、優しい羊飼いである主は、私を正しい道に連れ戻し、私の魂を生き返らせてくださったのです。
そして、この出来事以来、私は自分の分別や知恵に頼らずに、すべての道で主を覚え、人生の旅路を導いてくださる聖霊の声に耳を傾けることを、より意識するようになりました。
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