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永遠の腕に飛び込む
台風が来るたびに、私は家があることのありがたみを感じます。外は雨や風が強くても、それに影響されずに安心していられるのですから。
世界には、家のない人や、嵐のたびに壊れそうな小屋などに住んでいる人も多くいることを考えると、普段は当たり前に思える家が、どれだけの祝福であるかに気づかされるのです。
そして、この聖句を思い出します。
とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。
神は、決して吹き飛ばされることのない丈夫な家であり、年月と共に朽ちることのない「とこしえの住み家」なので、その中に留まっているなら、嵐を乗り切れるようにしてくださいます。
人生の嵐にあたふたしそうな時には、この聖句を思い出し、安全な家に守られていることをイメージしてみるといいかもしれません。
力強く支える腕
そして、たとえ私たちは倒れることがあっても、神の永遠の腕が私たちを受け止めてくれます。
特に困難な経験を味わっている時には、主の腕の力強さがとてもありがたく感じられるので、賛美歌のテーマにもなってきました。
私たちが倒れたり沈んだりする時、神は疲れることのない永遠の腕でしっかりと支えてくださいます。
アンソニー・ショウォルターという音楽家は、かつての教え子二人から、それぞれの妻が亡くなったという手紙を受け取った時、この聖句を思い出して、『主の御手に頼る日は』(聖歌503 新聖歌315)という賛美歌を書きました。
どん底まで沈みそうになっている教え子たちが、神の腕によって支えられるようにとの祈りが込められているように思えます。
優しく抱く腕
主の腕には力強さと共に、母親が子どもを抱く時のような優しさもあります。
あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった。
また、私たちが人生の荒野や嵐の中を進む時、主も私たちと共に苦しみ、その力強く優しい腕で抱き支えてくださいます。
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
主の姿が見えないと思っても、そこにいないわけではなく、実は真後ろに立って、私たちが主の腕に飛び込むのを、待っておられるのかもしれません。
それなのに、私たちはなんとか自分の力で解決しようとし、ますます状況に押しつぶされそうになることがあります。
主の腕に飛び込む
私たちには、自分の力でもがき続ける代わりに、重荷を主にゆだねるという選択肢があります。主の腕に飛び込み、全身で主に寄りかかるのです。
重荷や恐れや不安を手放し、頼りとしている(けれど、助けになっていない)ものも手放し、主の腕に飛びこむなら、主は必ず私たちを受け止め、抱き、支えてくださいます。
あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。
『御腕に抱いて』
今 主よ 私の心に触れて
あなたの御腕に
抱いてください
すべての疲れた人よ
重荷 悩み 負う人よ
イエスの前に 出て行こう
すべてを 今 手放そう
あなたの愛に 飛び込みます
かならず 受け止めてくれるから
あなたの腕に 飛び込みます
かならず 受け止めてくれるから