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人の記憶、神の記憶(2)
嫌な思い出に悩む時
先回の記事で書いたように、短時間の内に思いつく人生の出来事は「楽しいこと」が過半数ですが、少数の印象的な出来事だけに限ると、「楽しくないこと」の割合が高くなります。
それは、楽しくない出来事は何度も繰り返し思い出すので、より安定した記憶になっているからだそうです。
そういったことを思い出すたびに嫌な気分になるのなら、その出来事に伴う良い点を考えると、助けになります。
最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。(ピリピ4:8)
たとえば、その出来事自体の良い側面、あるいはそこから学んだ良い教訓、それがきっかけとなって起きた良い出来事などです。
旧約聖書のヨセフには、非常に辛い思い出がありました。
若かった頃、兄たちによって隊商に売り飛ばされ、遠くエジプトで下僕にされたのです。
しかし、ヨセフは何年も後に宰相に抜擢され、神に導かれてうまく食料を保存したことで、7年間の大飢饉の間、エジプトだけではなく、自分の家族の命をも救うことができました。
仕返しをされるに違いないと考えた兄たちに、ヨセフはこう語っています。
あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。それゆえ恐れることはいりません。(創世記50:20-21)
兄たちのした悪いことを、神はヨセフとその家族にとって「良きに変わらせて」くださったで、あの「楽しくない」出来事は神の愛と配慮を思い起こさせるものとなったのです。
そうなるまでには何年もかかるかもしれないし、今はどんな良い側面も見つからず、何の教訓も学べないように思えるかもしれません。
そんな時には、祈って、重荷となっている悪い思い出を主イエスに預けてください。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ11:28)
心の嘆きを包まず述べて、などかは下ろさぬ、負える重荷を(讃美歌『いつくしみ深き』)
などかは下ろさぬ・・なぜ下ろさないのか、友であるイエスに話して重荷を下ろそうよ、という意味です。
いつくしみ深き友イエスにあなたの重荷を預け、神がいつか――この地上で、あるいは天国で、「それを良きに変らせて」くださると信じましょう。