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失敗して後悔に悩む時に読みたい聖書の言葉
失敗が好きな人はあまりいないと思いますが、失敗は生きている証拠です。
失敗したことを過度に後悔し、すっかり落ち込んでしまうなら、現在を台無しにし、進むべき未来に向かえなくなります。
そのような経験をした時、私にとって助けになった聖書の言葉をいくつか紹介したいと思います。
神はどう見ておられるか
私たちは自分に厳しすぎる(あるいは甘すぎる)ことがありますが、神は私たちを正しく判断してくださいます。
神のみまえに心を安んじていよう。なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。
もし、「自分はダメだ、何の価値もない」と感じるなら、神があなたについて語っている次の言葉を思い出してください。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
そもそも、神は私たちが完璧であることを期待されません。
父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられるからである。
そして、私たちを見放すこともありません。
主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう。
反省、学び、成長
反省は役に立ちますが、その目的は自分を責めることではなく、失敗や間違いを理解し、認め、そこから学ぶことです。
苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。
失敗から何かを学ぶなら、それは人生の財産となり、成功への道となります。
「神の愛を信頼し、苦しい経験でさえも意味があって、神はそれを無駄にされないと信じられるなら、その経験もまた私たちの財産となります。」
「失敗したところで終えるなら、失敗者です。しかし、失敗しても、あきらめずに違うやり方でやったり、違うことに応用したり、違う方向に向かったりするなら、成功者になるかもしれません。あるいは少なくとも、その失敗から学んで、それを成長と進歩につなげることができるでしょう。」
その学びや、神から与えられた慰めによって、他の人を助けられるようにもなります。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
後ろではなく前を向く
時々倒れることは避けられないとしても、私たちには「起き上がって前を向く」という選択肢があし、たとえ座るのがやっとであっても、神に目を向けるなら、光が見えてきます。
正しい者は七たび倒れても、また起きあがる。
たといわたしが倒れるとも起きあがる。たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる。
使徒パウロは、最初はクリスチャンを大いに迫害していたけれど、復活後のイエスと出会ってから180度転換し、熱心な福音伝道者となりました。
かつての行動を後悔したに違いありませんが、彼は過去の過ち、あるいは過去の栄光でさえも後にして、前進することに自分のエネルギーを用い、多くの人を救いに導きました。
わたしは・・ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り・・。
パウロと同様、教会の指導者となったシモン・ペテロは、イエスが十字架に掛かる前に3度も否認するという過ちを犯しましたが、それが起こる前にイエスはこう言われました。
シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。
自分を裏切ろうとしているペテロに対する、イエスの無条件の愛と赦し、そして必ず立ち直るという信頼を感じさせる言葉です。
この大失敗によって、ペテロは自分の弱さを実感し、より謙虚になったことでしょう。
「ペテロもパウロも、自分の弱さを知り、どれだけ神が必要であるかを自覚しました。だからこそ、神の力に頼ることを学び、偉業を成し遂げることができたのです。」
神は私たちの失敗よりも、その先にある立ち直りや学びに目を留めておられるようです。
そして、私たちが失敗から学び、より謙虚になって神の力に頼り、他の人への祝福となることを望んでおられるのでしょう。
そうなった時、失敗や挫折は無駄ではなく、私たちの財産となります。