新年のモットー
新年になると、私はいつも聖書の言葉を一つ選びます。新年のモットーとしたいもの、自分の抱負や目標をよく表現しているもの、あるいは道を見失いそうな時に導きの光となるようなものです。
それを友人とシェアし合うことによって、それぞれ違う聖句を選んでいても、共にこの一年を前進しているように、私には感じられます。
今回は、私や友人が今年選んだ聖句のいくつかをお伝えしたいと思います。
これを選んだ人は、昨年は自分のことでいっぱいだったけれど、今年は原点に立ち戻り、イエスに目を向けて、もっと愛が持てるようになりたいと言っていました。
私も、自分には愛がないと感じることはよくありますが、愛は「御霊の実」なので(ガラテヤ5:22)、愛という実を結べるように、神とのつながりをより大切にしたいと思います。
体力や気力に自信がないと感じながら、新年の導きを求めて祈った人に、この聖句が示されました。
わしの翼は風を受け止めやすく、自分の力で羽ばたかなくても、上昇気流に身を任せるだけで空高くのぼっていくことができます。
「自分の力に頼ろうとすることをやめて、時が来た時に、聖霊の気流に乗って舞い上がることができますように」というのがこの人の祈りであり、「そのために、もっと信仰について、そして聖霊に身を任せる方法についての学びをしたい」とのことです。
この聖句を選んだ人は、この数年、世や人に流されて、自分自身の歩むべき道を進めなかったように感じていました。
そこで今年は、神が用意しておられる自分の道をはっきりと示していただき、その道を歩んでいきたいそうです。
ここまで紹介した3つの聖句は私からのものではありませんが、私もそうありたいと思うようなものばかりでした。
そして、私自身が選んだ聖句は、次のものです。
初めて私に福音を伝えてくれた人から始まり、これまで数多くの人の働きの結果、御霊によって私の心にキリストの言葉が書き記されてきました。
今年は、自分が「キリストの手紙」であるということをさらに意識して歩みたいと思います。
ところで、「キリストの手紙」とは、「立派なクリスチャン」を意味するわけではありません。パウロがキリストの手紙と呼んだコリントの信徒たちにはたくさんの問題がありました。
「キリストの手紙」には、私たちの不完全さも弱さも、過ちも闇も、すべて記されています。そして、それにもかかわらず示される主の力と恵みと光、また、私たちに対する深い愛が記されています。
こんな不完全な私たちを、主は恵みによって救われたので、そこに私たちの喜びと希望があり、それを多くの人に読んでもらいたいのです。
というわけで、皆さんも、この一年を歩む上で導きの光となり、モットーとなるような聖書の言葉を選んでみてはいかがでしょうか。