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永遠の命を生きる
聖書を読んでいると、まるで自分にあてて書かれたかのような言葉に出会うことがあります。
初めてそう感じたのは、この言葉でした。
それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、[イエスが]ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。(ヘブル2:14-15)
おそらくほとんどの人は、死を頭の隅に追いやり、あまり考えないようにして生きていることでしょう。
私の場合、6~7歳の頃だったでしょうか、死についてかなり意識するようになりました。
体も心も存在すべてが消滅してしまうと考えるだけで、恐ろしかったのです。
自分よりもずっと死に近い大人たちが、毎日平気な顔をして生きているのが不思議でたまらなかったのを覚えています。
クリスチャンになり、聖書のこの言葉を読んだ時に、イエスは私たちを罪から解放するだけではなく、死に対する恐れからも解放するために、いったん死んで復活されたのだと気づきました。
また、私たちの肉体は、私たちの霊がこの世にある間の仮の住まい(宿、テント)にすぎないと知りました。(2コリント5:1-9)
言うなれば、私にとって死はもはや消滅ではなく、故郷である天国への引っ越しを意味するようになったのです。
イエスはこう言われました。
わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか。(ヨハネ11:25-26)
わたしの父のみこころは、子[イエス]を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう。(ヨハネ6:40)
永遠の命を得た人は、肉体が死んでも霊が生き続け、いずれ新しい体が与えられて復活します。
この永遠の命は、死んだ時に「持つようになる」のではなく、信じる者が今すでに「持っている」ものです。
これらのことをあなたがたに書きおくったのは、神の子の御名を信じるあなたがたに、永遠のいのちを持っていることを、悟らせるためである。(1ヨハネ5:13)
このことを悟った時、私の恐れは消え去り、心が平安で満たされました。
誰もが避けることのできない死ですが、イエスは復活によって、すでに死に対して勝利し、永遠の命を私たちに与えてくださったので、肉体の死によって私たちの希望が奪われることはありません。
また、いずれより良い場所に「引っ越し」すると分かっていれば、悲しみや苦しみの多い人生でも、神と人とを愛しながら前向きに歩みを進め、希望を持ってこの世を去ることができます。
復活祭が訪れるたびに、私は子どもの時に抱いていた死に対する恐れを思い出し、その恐れから解放されたことを主に感謝します。
そして、たった今この地上にいる間にも、神の恵みと希望に満ちた永遠の命を存分に生きようと思うのです。
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わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。(イエス・キリスト、ヨハネ10:10)