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神に守られて

日々の生活の中で、神に守られていると感じたことはありますか。毎日ではなかったとしても、何か危険が迫ってきた時などに実感することはあるかもしれません。

以前、この世で私たちが出会う危険について、次のように書いたことがあります。

神は実に素晴らしい世界を創造されましたが、アダムとエバをはじめとする私たち人間の罪の結果、神の創造は汚され、世界に多くの危険が存在するようになりました。

病気、死、災害、暴力、迫害、その他の危険は、この世界に住んでいる限り、神を信じる人にも、また善人にでさえも、降りかかります。・・

それは・・単にそれがこの世の有様であり、天国へ行くまで危険が完全になくなることはないということです。

(『神の保護に関する10の聖句』)

先月、妻が新型コロナにかかりました。しばらく前に友人がかかった時も、妹がかかった時も、それぞれの家族全員に感染していたので、私も覚悟はしていました。

もちろん、別々の部屋で過ごすなど、できる範囲で予防措置は取りましたが、家の造りから言って、妻も私もリビングを何度も通らなければならないし、洗面所やトイレも一つしかないので、感染する可能性はかなり高いと言えます。

しかし、結局私にうつることはなく、妻の看病や食事の世話などを最後まで行うことができたのです。詩篇にあるこの言葉を思い出しました。

あなたは恐れることはない。
闇に忍び寄る疫病も
真昼に襲う病魔も。
あなたの傍らに千の人が
あなたの右に万の人が倒れようとも
その災いがあなたに及ぶことはない。

(詩編91:5-7 聖書協会共同訳)

夫婦ともに健康であったなら、なお嬉しかったのにとは思いましたが、その場合はかえって、「守られている」とか「嬉しい」と感じることがなかったかもしれません。何も起こっていないのですから。そう考えると、何も起こっていない時にこそ、神の守りを意識して感謝すべきですね。

最近、友人と話している時にも、神の守りが話題に出ることが多いので、私がもっと「神に守られている」と意識することを神は望んでおられるのでしょう。

先日、ある友人に、次の聖書の言葉を送りました。

見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。

(創世記28:15 新改訳2017)

この人は、何かと危険の多い国に住んでいて、しばらく日本に来ていたのですが、まもなく居住国に戻ります。道中もさまざまな危険が想定できるような旅なので、最近私が目にしたこの言葉を励ましのために送りました。

すると友人は、日本に来る前日、この聖句を主から示されていたと教えてくれたのです。その同じ聖句が私から送られてきたことに、感激していました。これは神の計らいと導きによるものだったと知り、私も嬉しくなりました。

ちなみに、「あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」というのは、その後に捨てるという意味ではありません。この言葉が語られたヤコブの人生がそうだったように、これからも神に捨てられることはないという確信が、このような経験によってさらに強められることでしょう。

神の守りについての聖句は多くありますが、私の好きな詩篇121篇には、こんな言葉もあります。

主はあらゆる災いからあなたを守り
あなたの魂を守ってくださる。

(詩編121:7 聖書協会共同訳)

「魂」、また口語訳で「命」と訳されているこの言葉は、人間の存在全体を表すものです。つまり、この聖句は身体的な守りだけではなく、精神的・霊的な守りも意味しています。

危険や苦難やストレスのあるこの世の人生で、心が守られることは大切であり、使徒パウロはこのように助言しています。

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

(ピリピ4:6-7)

私たちの心も思いも体も、神が守ってくださいますように。そして、危険が見当たらない時も、あきらかに危険が存在している時と同じように、神の守りに感謝できますように。

願わくは主があなたを祝福し、
あなたを守られるように。
願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、
あなたを恵まれるように。
願わくは主がみ顔をあなたに向け、
あなたに平安を賜わるように。

(民数記6:24-26)



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