イザヤが預言したキリストの受難(1)
昨日は棕櫚の主日と呼ばれ、旧約聖書に預言されていた通りにイエスがロバに乗ってエルサレム入りされたことを記念する日でした。
それからイエスは裁判を受け、処刑、埋葬されるという多くの苦難を味わったため、イースター(復活祭)前日の土曜日までが受難週と呼ばれています。
イエスがそのような苦難を承知の上でエルサレムに行かれたことは、復活後に弟子たちにこう語られたことからもわかります。
「すべての預言者」の中でも、紀元前8世紀に活動した預言者イザヤは、イエスについて多くの預言を残しており、特に「苦難のしもべ」として知られるイザヤ52章13節~53章には、イエスの受難が詳しく描写されています。
リー・ストロベル著『ナザレのイエスは神の子か?』によれば、ルイス・S・ラピディスという人はユダヤ教徒として育てられましたが、この箇所を読んだ時にそれがイエスについて書かれていると気づき、それがきっかけでクリスチャンになり、さらに牧師となったそうです。
他にも、似た経験を持つユダヤ教徒は多くいて、それほどイエスについての預言であることが明確であるため、ユダヤ教のラビたちはこの箇所を信者に教えないようにしていると聞いたことがあります。
今回は、イエスの受難やその理由が記された、この「苦難のしもべ」の預言について知っていただきたいと思います。
説明はなるべく簡潔にしますが、それでも長いので、二部に分けてお届けします。
イエスは栄光を受け、高く上げられますが、それはまず低められ、苦難を味わった上でのことでした。(ピリピ2:6-9)
イバラの冠を被せられて血を流し、肉が出るほどムチを打たれ、十字架に釘付けにされるなど、人としての尊厳をことごとく奪われた人物が実際には神から遣わされた人であり、神によって高く上げられるということは、前代未聞であり、驚くべき出来事でした。
イエスの弟子たちが福音書や手紙にこの言葉を引用しているように、残念なことに多くの人はイエスとその福音を信じませんでした。(ヨハネ12:37-38、ローマ10:16)
当時の人たちが抱いていたメシア(キリスト=救済者)像は政治的・民族的なものであり、ユダヤ民族をローマから解放し、国を再建してくれる威厳ある指導者でしたが、神が実際に送られたメシアは、そうではありませんでした。
イエスは貧しい大工の息子として、「かわいた土から出る根のように」弱く、なんの権力も持たない普通の存在として、地上に来られたのです。
そして、少し前に触れたように、受難中のイエスは身体的にも醜い状態にされ、威厳と呼べるものはありませんでした。
エルサレム入りしたイエスは、まもなく捕らえられて、不当な裁判にかけられ、様々な形で侮辱された上に、殴られたり、鞭打たれたりします。
イエスは無実だと考えたローマ総督ピラトは、イエスを解放しようと提案しましたが、祭司長たちはイエスを十字架につけさせようと、民衆を扇動しました。
エルサレム入りしたイエスを祝福していた人たちもたくさんいたはずですが、彼らは祭司長たちに従ってイエスを捨てることにし、「十字架につけろ」とピラトに要求してやみませんでした。(マルコ11:8-10、15:6-14)
また、イスカリオテのユダがイエスを裏切ったのは言うまでもなく、他の弟子たちでさえ、イエスを見捨てて逃げていったのです。(マタイ26:56)
イエスにとって、どれほど悲しいことだったでしょう。
(後半には、受難の目的が説明されています)