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ヨハネ黙示録2-3章 七つの教会
ヨハネ黙示録の2章と3章の、七つの教会に書き送った箇所について
コトタマ学を念頭において読むと
聖書のこの箇所は、人間の脳について何か奥義を説いているような気がする
天の御座に座る御父とは、脳へ信号を出す主体のようであり
口からコトタマを発するまでの過程において
人は何か大切なことを忘れていることを指摘されているように見える
愛から離れていると指摘されているのは
【ア】【イ】が隠されていると読める
また七つの教会の名前も、何か秘密があるような気がする
エペソ
エ臍
主体と客体を繋ぐ臍スミルナ
スメラ(皇)名
知らしめる名、名を知らしめるペルガモ
ヘル(減る)ガ(我)モ(門)
主体と客体を隔てる門テアテラ
タ(田)タラ(足る)サルデス
サル(去る)ダ(田)ス(治める)ヒラデルヒア
ヒル(ヒ霊)タル(足る)ヒ(五十音図)ラオデキア
七つの教会とは、脳における七つの境界であり
コトタマが脳から発せられる際のどこかの通過点を指し示しているような
そんな気がするのだ
数十年かけて徐々に明らかになっていったコトタマ学を
理解するには時間がかかるのは明らかだが
コトタマ学を以てして聖書が何を秘めているのか
引き続き私なりに研究していきたい