言霊は、まだ言葉に鳴っていない言葉、これから言葉にするための心の中だけの言葉と捉えると掴みやすいです。
例えば〝グゥー〟とお腹が鳴ります。
お腹が鳴っただけではまだ意識は完全に呼び起こされませんが、
そのお腹のグぅ~っと鳴った部分に意識が集中しますよね。あれ?これはなんだ?
これが最初のカ行にあたります。要するに精神宇宙の自分の五官感覚に意識が向かって掻き集める事。掻き来る働きがなければグゥーっと鳴ったお腹を意識する事もありません。
グゥーッとなったのはここか?これか?というように意識を搔き集めた状態。これがカ行。
次に、このお腹が鳴った事は自分が今、空腹なんだなと掻き集めた意識が鎮まります。
鎮まるというのは、これはなんだ?という疑問がなくなって〝あ!そういう事か!俺は空腹なんだ〟という風に意識が落ち着く事。腑に落ちる事で意識はそこに鎮まります。これがサ行の働きです。
ここまでで、まずお腹が鳴ったのはなんだ?(掻き集めるカ行)そうか俺は空腹なんだ(サ行)
という心の言葉によって展開されました。
次に、タ行。このタ行は説明が一番難しいのですが、自分の精神宇宙が殻だとしたら、その殻の中から外に出る事。精神世界から外に飛び出る力が働きます。
例えばグーグルで何を検索しようかなと掻き寄せる行為がカ行だとしたら、そうだラーメンにしようという心の指針がサ行。その思いを受け持ったまま実際にラーメンをこのパソコンで検索しようと意識が出てくる事、自分の心から現実に出力されたのがタ行。
この働きがないと自分の心の中だけで消化して思いは想念だけとなって消えていきます。
現実世界にも現そうと心で掻き寄せた内容である〝腹が減った〟という思いを自我の殻から外に押し出す事が重要です。これがタ行です。
次にナ行。ナ行は鳴る、成った、内容という事です。要するに今俺は腹が減ったからお腹が鳴ったんだという内容がそのまま現実に現れている状態。腹が減ったという事実を受け持って飛び出してきた自分が今ここに成立しているという状態。
もちろんこのままでは腹が減っただけの現実ですから次々に発展していかないと具体的に自分の心が今どうなっているのかという事について他人には届きません。
またパソコンの前で腹が減ったという現実の内容を突き付けてもパソコンはうんともすんとも言いません。
そこで次にハ行となります。心で掻き寄せた内容が前面に広がる事です。具体的な言葉が表面化してくる状態。
パソコンで検索するために必要な言葉が心いっぱいに広がる事。表面化する事。ラーメンの思いが心に広がって指が動いて〝おいしいラーメン
渋谷周辺〟などというような具体的な思いを検索キーボードに打ち込もうとしている段階。(まだ打ち込んでいません。言葉が決まった段階)
次にマ行。この表面化した言葉を実際に対象のもの、パソコンならパソコン。友達なら友達、恋人なら恋人、妻なら妻に対して結び付けないと感応動向は起こりません。弓矢で言えば的のようなものです。どこに結び付けるか!これがマ行。上記の説明で言えば、パソコンに向かってこの言葉を打ち込もうとしているのでマ行はパソコンに向かっている姿と言えます。
次にヤ行。的に向かってその矢が飛んでいく事。つまり表面化された言葉が的であるパソコンに向かって持続していくこと。パソコンに向かってその言葉を打ち込んでいる状態。
次にラ行。これは発展する力動です。ラーメンが食べたい思いが言葉になって心いっぱいに広がって持続していますが、母音の自覚がそもそもないので、心に締めがない状態。
検索の言葉も〝渋谷周辺のおいしいラーメン〟から発展して〝豚骨ラーメンの人気店〟とか〝つけ麺の有名店〟〝駅から近いおいしいラーメン〟などという次から次に言葉や思いが発展する事です。発展したっきりで締まらない。なぜなら発展された内容がまた最初の掻き集めるカ行に戻るからです。
腹が減ったというのが最初のカ行ですが、ラ行で発展しちゃってラーメンはラーメンでも豚骨か塩かしょうゆか、そうだな俺は醤油が食いたいんだなとまだカ行に戻るのです。
実際に醤油ラーメンを食べたにしても、自覚はありませんから、時間が起てばまた腹が減ります。
そうすると今度またカ行として欲望を掻き寄せて今度はカレーにしよう、カレーはカレーでも辛いカレーを…というようにカラカラ回るのです。
実際に欲望から出てきた言葉の例を出してみます。
〝腹が減った=何か食べたい〟
〝ヴィトンの財布が欲しい=手にしたい〟
〝どうしてもあいつの素性が知りたい〟
〝あの人と付き合いたい〟
全部〇〇したい~という言葉の要素になります。
したい~という事は、成ってない。という事はこの言葉はワ行に達した言葉ではない。
音図で言えばア行という此岸からワの彼岸にまで渡り切らないと心は鎮まりません。
したい~をそのまま放置してたら思いが展開するだけで心が鎮まりません。
反対にア行からワ行にしっかり収まった言葉とは何か?というと
〝これで良し〟とか〝そうすべし〟〝こうするより他はなし〟
というように即鎮まった言葉になるのです。
タカマハラナヤサ。
この即鎮まった言葉は、天津太祝詞音図に見られる特徴で、此岸である自分のア行からワ行も自分自身の彼岸として締めます。
タ行としての創造の言葉が即鎮まりうる言葉。
腹が減った~と騒いで泣いている子供がいるとします。泣き止むにはどうするか?
赤ちゃん自体の心はカサタナハマヤラ。だから腹が減って泣いています。
言霊学を知った自分が泣いている赤ちゃんの心を自分の心として心の内容を見透かします。
すると泣いている原因は腹が減っているからであり、子供が泣き止むにはごはんを食べさせるよりほかはなし。自分でもそうだから。として子供にささっとご飯を食べさせれば泣き止みます。泣き止むという事はその瞬間は赤ちゃんも心が鎮まったことになる。
〝赤ちゃんにご飯を食べさせる=そうせよ〟という言葉、それより他はなしという締めの言葉になるのです。
そのことをよく知っている人は子供が大泣きする前にご飯を食べさせます。
赤ちゃんが泣かないようにできたらそれは救世主です。
10人いて10人とも泣きだしたらそこは地獄。
霊知りは、泣く前に〝そろそろご飯の頃合いだな〟と与えて子供が泣かないようにしちゃうのです。
これが天津太祝詞音図の心の鏡(自証された音図の理で相手を鎮める)と言われる所以です。
自分自身の自証された心の内容を余すことなく自分(相手を含めた自分)で鎮まるように解決するのです。
子供の話だから〝そんな事当たり前じゃん、親ならだれでもそうするでしょ〟
と思うと思います。ですから言霊学は特別なのではなく誰でもその性能を持っているのです。ただ自覚していないから過ぎ去れば忘れてしまうだけ。
さらに言うと赤ちゃんだけでなく世の中はみんなこの〝~たい〟の言葉で泣いているのです。
政府も〝所得倍増計画をしたい〟〝日本にもっと投資してほしい〟〝増税して社会保障充実したい〟
個人もそうです。
有名になりたい。お金が欲しい。視聴回数がもっと増えてほしい、登録者何万に行ってほしい…
全部〝~たい〟です。
この一つ一つの心を自分事として相手の心を鎮めるには自分の自我を突き通しては絶対に無理です。
自分の事はさておいて赤ちゃんにご飯を食わせてあげて泣き止ませるようにすべての人間に対して心を鎮めさせる働きが必要なのです。
話が逸れてきましたがこれで少しでも掴んでくれると嬉しいです ^^) _旦~~
ちなみに金木音図の縦の並びであるアイウエオもその配置関係が合理的に収まるという事をあとから俯瞰すれば見れます。
アという宇宙に人間は暮らしています。腹が減ったという自我を見つけられるのもアの境地から見るから俺は腹が減ったんだなとわかるのです。
イは意識と言葉の世界です。その意識が自我のウに結びついて心の中心はウ。
このウの中のどれか、腹が減った、今日はラーメンにしようというように選択実践知エが働いて、そのために経験値オが動く。「そういやあの渋谷にある醤油ラーメンうまかったよなぁ」
こういう感じです。言霊学を知った上で俯瞰してみると上からアイウエオ。これを扇の要(奥義の神名目)と言います。