怪談朗読の魅せ方
※本誌は動画の視聴回数を伸ばすためのテクニックやハウツーのようなお話ではありません。また、あくまで筆者なりの解釈と考察を文章化しただけです。これが正しい!これが定義だ!と論じる意図はありませんし、特定の誰かの活動を否定しようとしている意図も一切ありません。万が一ご意見を頂いたり叩かれてもシカトしますので悪しからず。
怪談の表現方法として
文章(書籍やネット怪談)、劇、映画、漫画、落語。など多岐に渡るが、言葉と声で行われるパフォーマンスは主に2種類ある。
語る。
読む。
語るとは、すなわち体験談もしくは聞いて来た話を自身の言葉で語ること。話芸のようなものから劇場型、もしくはより自然体なものまで様々なスタイルがある。最近は話芸としてイベントやライブなどで怪談を語る人々を「怪談師」「怪談プレイヤー」などと呼んでいる。最もポピュラーな怪談のパフォーマンスだ。
読むとは、すなわち文章ベースの怪談を読んで伝えること。一番多いのは他者の怪談作品、もしくは自身で書き起こした文章の朗読である。こちらも文章として読むものから感情を込めた語り口調での読みなど様々な方法がある。
怪談の読みをメインに活動している人々を「怪読師」「怪談朗読者(配信者)」「怪談朗読師」などと呼んでいる。
そして、現在。怪談を朗読する活動は主に2つに大別されている。
①「怪談朗読」
YouTube、ニコニコ動画、かつてはねとらじ。など、「動画」または「生配信」「ポッドキャスト」などの媒体を通じて「洒落にならない怖い話スレ」や「Horror Holic School」「奇々怪々」などに投稿されている、いわゆるネット怪談や投稿話などを主に朗読する活動。顔出しでの活動者はごく少数。いわゆる「朗読」や「ナレーション」などとは異なる部分も多い。
※以下、「怪談朗読」と呼ぶ。
②「怪読」
怪読師や怪談師による、書籍や自著などに掲載されている「怪談作品」の朗読。舞台や怪談イベントなどの演目として行われることが多い活動。
怪読のコンテスト「怪読戦」や出版書籍の怪読を動画として配信している「怪読録」などが存在している。顔出しして活動する人が主。
※以下、「怪読」と呼ぶ。
正直、やっていることがそんなに違うのかと言えばそこまでの違いはない。だが、例えば空手の流派同士でも護身術としての性質が強いものから競技性の高いものまで多岐に渡るように、怪談を読むというパフォーマンスをする上での性格は異なる。
簡単に言うと、ネットでやるか目の前でやるか。
同じ「朗読」でありながらそのパフォーマンスを発揮するシーンは異なり、やっている身からすると比較し難い文化である。
私は怪談朗読の活動者であり、YouTube上に投稿話や作者さんから借りたお話やネット怪談の朗読動画をアップする活動をしている。
2024年からは怪談語りや怪読の活動も開始しており、機会に恵まれ怪読戦や怪読録にも出演した。
怪談朗読・怪読どちらも経験して分かったことは、求められる技術が少し異なるということ。
掻い摘んで言えば、怪談朗読では「音量の安定感」が求められ、怪読では「飽きさせない演出力」が求められると解釈している。
この違いはやはり、シーンの差から生まれている。
怪談朗読は動画・音声配信であり、主に耳で聴きながら作業をしたり入眠用で聴かれることが多い。語り部の個性も勿論だが「音源」として安定したものが好まれ、視聴者の生活を邪魔してはならない。「怖さ」は勿論必要だが、最も重要なのは視聴者が"安心して聴ける"という点だ。では、その安心はどこからもたらされるのか?
それこそが「音量の安定感」である。突然音が小さくなったり大きくなったりテンションが変わったりすると、驚いたり聴きづらさを感じてしまうからだ。
対して怪読は演目であり、舞台上やイベント会場で注目された状態で行われる。観客からは金銭を受け取り、その対価として聴覚情報だけでなく、舞台に立つ演者の姿や演出も含めたパフォーマンスを提供するからだ。
怪談朗読のような安心感も求められるかもしれないが、観客は既にパフォーマンスに注目している状態である。求められているのは刺激であり、「飽きさせない演出力」が重要になってくるだろう。
どちらも同じようなジャンルでありながら、真逆のパフォーマンスが求められるのだ。私が怪読をする上で一番戸惑ったのはこの技術の差異であった。色々と足りないところがあったが特に「演出力と迫力」に欠けていたと今も思っている。目の前でやるにしてはフラットすぎるのだ。
さて、今回のテーマは「怪談朗読の魅せ方」である。自分でやっているからこそ言えるが、怪談朗読はニッチな文化であり用いる技術も地味だ。
「淡々と読めばいいんだろ。簡単じゃん。」と始める人も多いが、淡々と読むというのは「棒読み」ではない。意外と難しい上にある程度自我を殺す必要があるため、読み手にとってはかなり疲れる。
また、動画市場としては既に何名かの配信者で埋め尽くされているジャンルである。手応えを感じることが出来ずに一年以内に辞めてしまう人がほとんどだ。
このニッチなジャンル。それなりに動画が再生されるようになったとしても、顔出しする活動ではないためか、タレントやYouTuberとして人気が出ているのとは少し異なる。なぜなら「声」が主役だからだ。人自体が人気なのとは少し違う。
おまけに大味な技を出さないため(出せる人もいるが、音量の安定感を犠牲にするため。)、正直言ってかなり地味に映るだろう。
もちろん、生の怪談演目としてはいわゆる「怪談語り」や「怪読」に比べると、華やかさや派手さに欠けるのは言うまでもない。
では、怪談朗読を魅せるにはどうすればいいのか。
一つの結論として、やはり「音源」としての品質向上は必須である。元々安定感が非常に高いジャンルであるからこそ、聞き手が安心して耳を貸し、怪談の世界に没入できるという「長所」を伸ばすことが怪談朗読というコンテンツそのものの伸ばし方ではないだろうか。
音源としての完成度を高めるために外せないのは音質である。朗読自体が繊細な表現を用いたジャンルであるため、正直肉声でのパフォーマンスは不利だと思っている。怪談という話の性質上、トーンを下げて読むことも多いため遠くまで声を届かせるのもかなり難しいだろう。(声がよく反響する空間などは例外とするが。)
怪談語りは話術やノンバーバルの部分にも焦点が行きやすいが、朗読は本を持つことからアクションもかなり少ないため音声環境が悪いのは致命的だ。聴かせる環境が不可欠で、いわゆる「ラフさ」とはかけ離れたパフォーマンスなのだ。
そう、怪談朗読こそ
ちゃんと「カッコつける」必要があるのだ。
願わくばBGMや効果音なども用いてボイスドラマのような演出も出来ると尚良い。それが一番難しいのだが。
自身のパフォーマンスだけで完結させるというより、あらゆる演出の肉付けによって完成とする。それが怪談朗読の正統進化であり、魅せ方であるという私なりの結論に至った。
パフォーマンスがフラットであるからこそ、強めな音声の演出とも相性がいいと思っている。(ボーカル淡々としてるけどバックのサウンドめっちゃお洒落なタイプのバンド。みたいな。)
三面恐で行った「怪弾朗読」のパフォーマンスはまさにその形に近いだろう。
有野優樹さん、そして私の朗読に合わせた田中カヨさんの演奏によるパフォーマンス。
朗読の良さを決して邪魔することのないサウンドは、特に生だからこそ映えると思っている。
ちなみにこちらの三面恐、見逃した!という方は来年にもチャンスがある。
読み手・語り手として新たに「祇園百」さんも加え行われる「三面恐-怪弾-」
上記で触れた「怪談語り」も行われる贅沢なイベントとなっているため、是非足を運んで頂きたい。
「怪弾朗読」の魅力が伝わるのではないかと思う。配信はないのでご注意を。
ご予約は⬇️
https://t.livepocket.jp/e/sa935
また、現時点では具体的には考えておらず構想段階だが、私自身でもそういった演出重視の怪談朗読ライブが出来ないかな?などと考えている。
ますますこれからが楽しみだ。