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おじいちゃんのこと

こんにちは、びびです。

いや〜雨ですね〜豪雨ですね。
昨日から爆弾低気圧が発生してるとか…
そりゃ、頭痛いよね〜
気分も落ちるよね〜と。

今日は2017年に亡くなった
おじいちゃんのことを書こうと思います。

昭和初期生まれのおじいちゃん。
若い頃は、国鉄の運転手をしていたそうです。
この頃に、車掌と乗客としておばあちゃんと出会い
結婚したなんていうロマンチックな話もあります。

国鉄の運転手を引退したあとは
マンションの管理人なんかもしていたようです。
その頃、脳出血(だったと思います)で倒れ、
一命は取り留めたものの左半身に麻痺が残っていました。

この頃からなのか、分からないのですが…
カメラが好きだったおじいちゃんは
足を引きずりながらも
1人で遠出し、写真を撮っていました。

写真会なんかにも参加し
新聞のコンクール的なものにも参加し
何度も新聞におじいちゃんの写真が掲載されていました。

遊びに行くと、たくさんの写真を机に並べ
「どの写真が好きか?」と
よく聞かれたものでした。

私の家にもおじいちゃんの撮った写真があります。
真っ青な空にたくさんのひまわり。

すごく好きな写真で、遺品整理のときの
おばあちゃんに頼んでもらったものです。

額に入れられ、保存されていた写真の裏には
撮影した日時、場所が書かれた紙が貼られていました。
その日時を見てびっくり。
その写真は、おじいちゃんが倒れた
翌年に撮られたものでした。

まだリハビリ中だったであろう時期に
こんな素敵な写真を取ったのかと思うと
大事にしようと思いました。

2017年に亡くなる数年前に
転倒し、腰だったかの骨を折ったことで
だいぶ大変な生活になったように記憶しています。

実家からおじいちゃんの家までは
自転車で30分程度でしょうか。
よく、母が自転車に乗って介護に行っていました。

この頃、私の体調もかなり悪く
外に出るのが不可能な状態。
おじいちゃんのことを介護してあげられなかったことは
今でも後悔として、心の片隅に残っています。

直接的なにかしてあげることができなかったので
煮物を作ったり
羊羹を作ったり
お弁当を作ったり…
たまのおじいちゃんのところに行く母に
渡していましたね。

今私に出来ることは
少しでも美味しいものを食べてもらいたい
それだけでした。

おじいちゃんの好物だった
グラタンを作ってあげられなかったのは
未だに心残りですね。
だから、私ちょこちょこ作るのかしら?
無意識なのか?!w

別れは突然。
数年の努力もあり、動けるようになり
夕飯後お風呂に入ったおばあちゃんと一緒に
ワインでも飲もうと準備をしていたおじいちゃん。

なにかにつまづいて転んでしまったようです。
机の上にはワイングラスが2つ。

大腿骨を骨折してしまったおじいちゃん。
救急車でいつもの病院に運ばれました。

ペースメーカーを入れていたこともあり
手術が難しいとの話もちらっと聞いていました。

入院してから2日くらいしてからでしょうか。
病院からあと数日が山ですと連絡が。

このとき、せめてものお守りにと
ミサンガを作っていた私は
家族と共に薬を飲み発作を耐えながら
おじいちゃんの病院へ。

呼吸器なども繋がれ
喋ることもままならない。
全身は浮腫んでいました。

笑顔で声をかけようと涙を耐え
「おじいちゃん来たよ〜」
「ミサンガ作ったから付けるね〜」
「早く元気になってね〜」
そんなありきたりなことしか言えませんでした。

声にならない声で
「ありがとう」
そう言われた気がしました。

まだ567前だったので、家族全員
病室に入れたものの
長居は出来なかったので
20分程で帰った気がする。

あのとき必死に涙を堪えていた母親の姿は
忘れられませんでした。

それから1週間もしないうちに
再度病院からの連絡。
夜20:00前だっただろうか。
体調も良くなかったことを考慮してくれたのか
両親から留守番を命じられ、死に目にあうことは
出来ませんでした。

両親からの連絡を何度も何度も深呼吸しながら
待っていたのを覚えています。

翌日、帰宅したおじいちゃんに会いに。
とても優しい顔をしていて
今にも起きて名前を呼んでくれそうでした。

数日後には、お通夜お葬式。
おじいちゃんが亡くなったショックも相まって
体調不良MAXだった私は
なんとか参列した状態でした。
棺に手紙を書いて入れました。
おじいちゃんの手には私の作った
ミサンガが付けられたままでした。

この日はとても空の青い日でした。
所々に浮かぶ雲が可愛らしくて
5月だったにも関わらず
とても暑く、いい天気だったので
「おじいちゃんが笑ってるのかな」
なんて思ったりもしました。

何故これを書いたのかと言いますと…
もうすぐ7回忌なのです。
むしろ2日後、命日です。

何年も前から「7回忌までは絶対やろう」
そう話していました。
私のワガママかもしれませんが
最低でもそこまではちゃんとしてあげたい。
そう思っていたので。
本当に近い親族だけでいいから
おじいちゃんのために集まる日。
そんな日があってもいいと思っていたので。

法事は命日よりも前にやると聞いていました。
3回忌のときも、命日ギリギリだったので
7回忌は早めに準備してね…と。
何度も母に伝えたここ数年でした。
(母の弟であるおじさんが色々やっているので)

しかし、なにも連絡はない。
私の7回忌の計算が間違っているのかな?と
先程計算したものの…
今年7回忌やん。

どうなってんの?

無しになった感じでしょうか?

死人に口なしとは言いますが…
おじいちゃん、悲しいんじゃないかなって。
むしろ呆れてるかもしれないな。

立派なお墓を建てたものの
母方の実家は誰も掃除しない
墓参りにも行かない。
(母方の実家からお墓まで徒歩でも15分程)

先月、お彼岸でお墓参りに行った時も
中日に行ったのに
ご近所さんが気持ちばかりにくれたのかな?程度の
1つの仏花を分けたくらいの少ないお花。
枯葉がたくさん。

あまりにもひどい扱いに
辛くなって泣きながらお水たくさんかけて
話してきました。

この日、お線香を忘れてしまったので
(持っていくスタイルのお墓)
次はお線香とお米持ってこよう思ったまでです。

幸い、私の住んでいる駅から電車で
20分もかからないので28日は
いつものお花屋さんに行って
少し豪華な仏花を買って
お墓参りに行こうと思います。

7回忌。
生きている人間にとったら
大したことの無い日なのかもしれない。
しかし、私みたいな思い入れがある人間もいるし
むしろおじいちゃんはみんなの顔が
見たかったんじゃないかな。

どうしてそんなことが出来るんだろう。
不思議で仕方ない。

これは、私が病気をしているからと
関係なしにわからない。

毎月命日にお墓参りに行けとは思わないが
お盆、お彼岸、命日は…ね。

私が行ったお彼岸中日のあとに
誰か行ってればいいなと。

ふと思い出したら
優しかったおじいちゃんの顔
ニコニコ写真の話をする顔
お正月にくれたお年玉
いろんなことを思い出して
涙が止まらなかったので
ここに残しておこうと思います。

初孫である私。
立派な8段飾りのお雛様を買ってくれたり
たくさん可愛がってくれたのに…
病気しちゃったり
なかなか会いに行けなくてごめんね。

実家とも連絡取れず
ひとりぼっちだけど…
おじいちゃんのひまわりの写真と
頑張るからね。見守っててね。

28日、晴れるといいな。