光と影を抱きしめたまま
♪捨て切れない夢を追いかけて
♪誇り高く愛は蘇る
(わかる人は多分アラフォー)
惜別の2・21東京ドーム
2023年2月21日、一人の偉大な才能が競技人生に自ら幕を下ろした。
プロレスリング・マスター、ザ・ジーニアスと呼ばれ、WWEのレジェンド達も敬服する男が見せた、生涯一度の晴れ舞台。
自分にとっての「初武藤」は、実は化身のグレート・ムタだった。
福岡ドーム(現・福岡PayPayドーム)で、普通のプロレスラーなら前に立っただけで萎縮しそうなアントニオ猪木(故人)を相手にやりたい放題のムタ劇場をやりきって満足そうに去るムタ、憤怒の表情で「ムタ戻ってこい、もう一度だ!」と叫ぶ猪木。
そして、何にも分かっていない子供の頃の自分。
子供にいきなりムタは刺激が強過ぎた。
それだけじゃない。武藤のプロレスは華そのものだった。
190cm弱100kgオーバーの巨躯でありながら、トップロープからムーンサルトプレスを行う身体能力の高さ。簡単そうな技でさえ一捻り入れて華麗な技に見せてしまう、その圧倒的技量。
格闘技系プロレスのUWFのエースにして後のハッスルの高田モンスター軍総統こと高田延彦との一大決戦での完勝は衝撃だった。
UWFインターは散々アメプロ的お約束事をバカにしてきたし、四の字固めを「あんなバカな技にかかるヤツいねーよ」と豪語してきた。そのトップの高田を、アメリカから帰国した武藤が「骨董品みたいな技(当時)」ことドラゴンスクリューで膝を破壊し、四の字固めでギブアップ勝ちしたのだから、当時の衝撃は計り知れなかっただろう。
今年の元旦に行われた、今やWWEのスーパースターの中邑真輔との試合は猪木vsムタのアンサーマッチだったのではないかと、自分で勝手に思い込んでいる。
毒霧からのキンシャサで「ずっと憧れだった」ムタを沈めた中邑は万感の思いを込めて語った。
きっとWWEがビンス体制のままだったらこのマッチ自体実現していなかっただろうと言われている。(ビンスというより、アメリカのスポーツビジネスは権利関係に非常に敏感だ。そこら辺の事情は、WBCにカーショーが出られない理由が「高額すぎる選手保険」にも現れている)
そういう意味で、中邑の心境を察して送り出してくれたWWE側、特に武藤ファンとも言われるWWE執行役員のトリプルH氏の尽力に感謝と敬意を評したい。
話が逸れてしまった。
中邑は猪木直系のストロングスタイルの継承者でもある。彼のWWEへの挑戦の動機の一つは「ストロングスタイルがアメリカでも通用する事を証明したい」だった。
所謂『闘魂三銃士』(武藤敬司・蝶野正洋・橋本真也)について回り続けてきた、アントニオ猪木という名前の呪縛。
昨日の試合はその呪縛を開放するかのようなものだった。
三沢光晴のエメラルドフロウジョン、橋本真也の袈裟斬りチョップからのDDT、志半ばにして命を喪ってしまった彼らに対する追悼・惜別・鎮魂のムーブ。
そして、武藤に憧れてプロレスラーになるも何処までも武藤のコピーでしかなかったのに武藤の真似を止めた途端に売れだした内藤哲也のフィニッシュホールドのデスティーノでマットに沈む。
あぁ、これで終わってしまうのか…。
東京ドームで観戦していた人も、AbematvPPVで見ていた人も、それぞれがそれぞれの過去の思い出を振り返りながら、万感の想いを噛み締めていたはずだ。
だが、日本プロレス史屈指の天才は本当のラストドラマを用意していた。
「まだ灰になりきっちゃいねぇよ」
「蝶野!俺と、闘え!」
何故、武藤の背中に憧れるのか?という問い
なぁ、これで涙が止まらないヤツ、いるか?
いるわけないよなぁ!?
武藤敬司の介錯人は、今じゃガルパンおじさんとか年末に月亭方正にビンタする人のイメージだけど、同日入門同日デビューの盟友にして黒いカリスマ・蝶野正洋じゃないとダメなのだ。ヤクザキックからのSTFという何十度見たフィニッシュブローでタップした武藤の表情は、まさに「やりきった感満載」だった。
橋本の幻影が見えた限界オタクは自分だけじゃなかったはずだ。
そして気付く。この試合は武藤敬司の引退試合と同時に、闘魂三銃士の引退試合だったのではと。
昭和の象徴の一人・アントニオ猪木という光と闇を併せ持った巨大なカリスマの後継者に意図せずもなってしまった闘魂三銃士が負の遺産を背負いマットを去り、光の遺産を中邑真輔、内藤哲也、清宮海斗、オカダ・カズチカら後輩に渡すと同時に「これからはお前らの時代だ!」という檄を飛ばす。
人を、記憶を、記録を、そしてビジネスチャンスまで残して去る。
男として憧れる、最高の格好良い引き際だ。
リングを去る武藤敬司の背中を、自分は一生忘れないだろう。
彼は、平成の答え合わせを最良の形で見せたのだ。
邪悪のカリスマ
一方で、同日に人も金もビジネスすら貪り食う平成の怪物、最悪の形で見せた『我欲の象徴』もいた。
武藤引退試合で流れた涙を全部返せよバカヤロウ!
と同時に、ゲラゲラと笑いが起こってきた。
何故なら、客観的に冷静な思考を巡らせば矛盾だらけの彼女の言葉を真に受けてしまった人々の哀れなピエロっぷりを想起せざるを得なかったからだ。
家父長制の破壊を唱え、他人に「おひとりさま」を勧めておきながら、自分は25年もの長きに渡って家父長制の甘美な部分をつまみ食い。「ザコオスは二次元キャラで精子ムダ打ちしながら死んでいけばいい」と豪語し、つがいになれないザコメス独身女性の精神的安定溜飲を下げる商売をしながら、その印税でタマワンに住み、外車を乗り回しながら、「みんなで貧しくなろう」と主張する。豪華な食事を満喫しながら、忠犬の様なオスと吉野家福祉論を提唱。
データで反論されると「不利なエピデンスは隠す、自分の主張を通す為なら当たり前の行動です」と開き直る。
ある意味、権力闘争の天才とも言える一連の業績と下々に対する態度の言動の数々は、文字通り下記自著の『アテクシ達の鉄砲玉』そのものだ。
[抜粋]
彼女たちにとっては、同性であろうと中流以下は「オスの賃金を引き下げる鉄砲玉」程度の認識です。それどころか、同性である事を都合よく利用して「女性の不遇を解消しよう」という口実にする気満々です。
[中略]
結局、フェミニズムというのは徹頭徹尾、上流階級の女性の論理で構築されてしまっている。下品な言い方をするなら、令嬢育ちのリベフェミの我儘でしかない。令嬢育ちだから、他人の生業を奪う事の重大性が認識できないのだ。
自らの出身階級が中流以下なら、精々おこぼれをほんの少し貰える程度でしかありません。
普通は鉄砲玉、もしくは彼女たちの正しさを証明する為の使い捨ての棍棒扱いです。
あるいは、「福祉に繋がれますよ」という甘言で自分たちのシノギの貧困ビジネスのネタか。
[抜粋終了]
自分は25年もの長きに渡って家父長制の一部たる結婚をしていたというのは、文字通り「不利なエピデンスは隠す」という豪語そのものである。
知ってた(知ってた)。
アレはビジネスサヨクなどという上等なモノじゃないですよ。
竹中平蔵と同種の、自己の目的の為にさも真っ当な学術的要素という豪奢なブックカバーを被せるのが上手い権力闘争の怪物です。
ザコオスをボロッカスに叩いていたのは、顧客兼カモのザコメスを満足させる為でしかありませんし、それどころか架空上の生物くらいの認識だったでしょう。だって彼女の人生にはザコオスなんて出てくる幕は一つもないですから。
ここまで見抜けなかった人は本当にマヌケですね。
ビジネスサヨクですらないのだから、自分の我儘に反抗的なら共産党というアカの首魁組織すらぶっ叩く。信者さえ切り捨てる、信者の求めにはちゃんと応じる内田樹氏を少しは見習おうぜ。
彼女の基準は思想ではなく、如何に自分に都合が良いか悪いか、ただそれだけ。これを『我欲の象徴』と呼ばずして、何と表現すれば良いのだろうか。
いや、むしろ動機が物質的または名誉欲的な意味で我欲のみ、後世の事など知ったこっちゃねえ!という態度を一貫して取り続ける上野千鶴子氏の態度は文字通り、平成を生きてきた人間の模範であり、多数派だろう。
一体、どれだけの人間が、彼女の態度を責められるだろうか。
自分は感謝したい。
平成を生きてきた人間の卑しさと下品さを見事に可視化した存在として。