心と体にいいこと #040
諸行無常といえば・・
相変わらず唐突ですが、
「諸行無常といえば」というお題。
そう、「祇園精舎の鐘の声」に続き、
「諸行無常のひびきあり」とくる、
鎌倉時代の「平家物語」です。
では、この「諸行無常」とは?
はい、涅槃経(ネハンギョウ)に登場する
『諸行無常偈(ショギョウムジョウゲ)』
第一句は、次の4句で構成されます。
諸行無常(ショギョウムジョウ)
是生滅法(ゼショウメツボウ)
生滅滅已(ショウメツメツイ)
寂滅為楽(ジャクメツイラク)
「いったい急になんなの?」と
苦笑いされそうですね・・・。
知り合いの方との会話中に
この言葉が思い起こされました。
少し前に、「名」=「存在」の話を
しました。私たちが「存在する」と
意識できるものは、その全てに
『名』があるという話。
例えば「人の心」「意識」。
実際にその形が視えたり、
皆が同じような形を
想像できるわけではありません。
その人の心は、周りの人からは
具体的な形としては視えまぜん。
ですが、私たちは子供の頃から
「その人の気持ちになって
よく考えてごらん!」と言われました。
その人が、言葉や絵で表現すれば、
「見えるモノ=存在するもの」に
近づきます。それでも、それですべてを
表せるわけではないので、その人の
気持ちそのものではありません。
似て非なるものです。
それって・・こういうことなの?と
確認し合うこと、つまり
対話を深めることで、さらに
近づくことができそうに思います。
でも、そこまでかなぁ~。
その人の心には、物理的には
触れられません。見ることも
できません。
何が言いたいのかって?
この世に存在するすべてのモノゴトは
人々の「心」が生じさせている・・
ということかな。厄介ですよね。
つまり、「心」は「心」という名前が
ついているのだから存在します。
しかし、自分にとっても他者からも、
それは大変に分かりにくく、
コントロールが困難なものです。
自分にもよくわからず、
他者からも見えない。
しかも、この「心」とやらは、
その時々でいとも簡単に変化していく。
しかも、その変化に本人が
気づいていなかったりする。
ですから、
「そんな話したっけ??」
「前の話と180度ちゃうやん!」
「えっ~そう意味だったの~?
そんなん知らんし・・」ってことが
多発します。
だからこそ、言葉を丁寧に選び、
互いに分かり易い表現で、
落ち着いて話す必要があるのです。
それでも、「誤解・勘違い」などは
簡単に? 日常的に? 発生します。
だからこそ、起こったこと一つひとつには
過敏に反応せず、宇宙の慈愛に
包み込まれるように互いを尊重し合う。
そんな生き方が、より好ましいのかなと、
思いをめぐらせていた、
という話です。
諸行は無常なり、是れ生滅の法なり、
生滅滅し終わりぬ、寂滅をもって楽と為す