『青白く光る呪いの粉』
お耳汚しを失礼致します。
肝試しで色んな物を持ち帰る方、河原や浜辺で素性の分からない物を素手で触る勇ましい方、多々居られるかも知れませんが、こんなお話は如何でしょうか。
この話は、私が学生の頃、講義中の雑談で教授から聞いたお話なのですが…。
教授は、上下にスライドするタイプの黒板に所狭しと文字を書き終えると、学生が板書を書き写して居る風景を眺めながら、こんな事を語り始めました。
「あ~…。先日、昔の教え子。つまりは君らのOBやけど、私の部屋を訪れて面白い土産話を置いて行きました。」
そのOBは昔から愛嬌だけが取り柄でヒューマンスキルが高めの先輩だったそうで、平日の夜にも関わらず数名の先生方を巻き込んで飲み会を催すのが好きな方だったそうです。
「おごってやるのは良いけど、お前ら明日も学校あるのを忘れるなよ!遅刻したら招致せんぞ!」
「先生。そんな奴おりませんよ。(笑)」
そう偉そうに語って笑って居たOB本人が、翌日には重役出勤する始末で、他の先生にこっぴどく叱られて居たそうです。憎めないキャラクターで通って居た為、他の先生方は「仕方の無い奴だな。」と笑って済ませて居たそうですが…。
「どんな事でも『あっけらかん』とした性格で乗り切ろうとする奴だったから、少し心配ではあったけど、今では主任に成って立派にやっとるわ。」
病院で診療放射線技師として従事して居たOBが、ある日突然「JICAの青年海外協力隊」に参加すると言って、アフリカのザイール(現:コンゴ民主共和国)に旅立ってしまったのだそうです。
友人からは「JICAって言いたいだけやろ。」と揶揄されて居たそうですが、3ヵ月程して、「仕事が出来なくなったからチームリーダーに帰国させられた。」とひょっこり友人らの前に現れました。
聞く所によると、紛争の激化で瞬く間に治安が悪くなり、夜中の病院に盗賊が押し入り、エプロンや衝立を盗んで行ったのだそうです。
現地のレントゲン室は粗末な物で、技師が放射線から身を守る遮蔽物は、コンクリートブロックで囲われた壁と、操作機器の前に立つ技師を囲う為に、鉛を合板で挟んだ衝立、それと重量が5Kg以上ある鉛のエプロンだけなのだそうです。
スタッフが朝出勤した時には、鉛に関するものが何も残って居らず、タングステンを含むX線管なども手当たり次第に盗まれた後だったとの事でした。
鉛は拳銃の弾に、鉄より硬いタングステンは鉄板でも貫通出来る様に弾の先端に加工して着けるのだそうです。
「そら仕事に成らんな。」と先生は笑います。
「現地に到着する前の夜に盗まれたらしいので、実質何も仕事をしていないんです。」とOBが説明を続けます。
「そしたら3ヵ月間何してたんや?」と先生が聞くと、
「現地の子供達と遊んだり、農耕の手伝いをしてました。」とOB。
「それにしても物騒やな。盗賊とか頻繁に出るんか?」と先生が質問すると、
「そうですね。事象の大小は在りますけど、女、子供を連れ去って売り飛ばしたり、気管支を広げて呼吸を楽にするエフェドリンなんかは、メタンフェタミン(覚醒剤)の製造に使われるので、風邪薬やアレルギー薬が良く盗まれるらしいですよ。(笑)」
「ダーティーボムを作るのにコバルト60やセシウム137なんかも盗まれると聞きました。」
「日本が安全過ぎるんですよ。家の庭や畑に地雷なんて埋まって無いでしょう?」とOBは真剣な顔で話して居たと云う事です。
病院には武器の素材や金目になる薬などが豊富にある為、アフリカのみならず、発展途上国では内通者が居たりして良く狙われるのだそうで、OBが農耕仕事の手伝いをしながら、青年海外協力隊で南米にも行った経験の在るチームリーダーからこんな話を聞いたそうです。
或る廃墟に成った病院へ、肝試しに忍び込んだ子供達が居たそうです。一番下っ端の小学校高学年くらいの男の子が度胸を見せようと、青白く光る粉の入った茶筒を見つけて持ち帰りました。
スラムのティーンエイジャー達は、学校にも行かず夜中にはクラブに集まりたむろって居たそうで、暗がりでも青白く光る粉が物珍しく、顔や体に模様を描いて遊んで居たのだそうです。
茶筒は下っ端の男の子の手柄と云う事で、その子が持ち帰って管理して居たそうですが、粉に触れた友人達が、次々に体調を崩して集まりに出て来なくなりました。
勿論その男の子にも彼らと同じ、嘔吐や下痢、皮膚の剥離などの症状が現れ始め、肝試しから約1ヵ月程で亡くなってしまいました。
次から次へと死人が出て居たので、やんちゃな子供達の間では『青白く光る粉の呪い』と言われ、廃墟で拾った粉は術を施された何かの骨で、その呪いを受けたのではないかと噂が広まりました。
しかし、大人達はそんな話を知る由も無く、男の子に続き、母親、祖母、姉と次々に後を追う様に亡くなったのだそうです。
病院に通えない貧しい人達が多いスラム街での出来事ですので、不審死が続いた事で警察が動き、キッチンの上の開き戸から茶筒が発見されました。警察の調査からWHO(世界保健機関)が動き分かった事は、青白く光る粉は『セシウム137』と云う放射性物質で、古くなった病院を解体する際、解体業者が解体料を持ち逃げした事が発端で、その後、様々な人が医療機器などを物色し、最後には廃墟が残ったと云う経緯なのだそうです。
後に調べたのですが、ブラジルでの『ゴイアニア被爆事故』とは別の事故だそうです。
肝試しに出かけても、めったやたらと色々な物を持ち帰らない方が良いのかも知れませんね。
そう言えば、OBの話にはこんな物も在りました。
成人男性の強さや勇気を象徴する儀式として『アドゥム』と云うジャンプダンスをするマサイ族は、収入源の1つとして、休日に観光客向けの体験プログラムや村の訪問イベント等を催して居るそうですが、平日は学校に通ったりビルや店舗等の屋内でネクタイを締めて働いて居るそうです。
「何か『太秦村』でエキストラのバイトをして居る様ですよね。」と語って居たそうです。
以上、『青白く光る呪いの粉』と云うお話でした。
ご静聴ありがとうございました。