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世界のスパイスの歴史を変えた4人の男
「旅は私の学校。自分の目で見、自分の頭で考える」
冒険家、マルコ・ポーロの言葉である。1271年から24年間をかけた冒険をもとにヨーロッパで「東方見聞録」という名の本を出版した人であり、ヨーロッパにおけるアジアの文化やスパイスの見聞を広めるきっかけを作った人である。スパイスの需要が高まるヨーロッパではブラックペッパーやナツメッグ、クローブ、シナモンなどの生産地はあまりよく知られていなかった。貴重品であり、入手困難だったスパイスは陸路を通じてヨーロッパに渡ってきていたが、スエズより東はアラブ人たちによって立ち入り禁止にされており、アラブの商人よりスパイスを買うしか入手方法は無かったという。アラブの商人は彼らの利益を守るために様々な作られたストーリーを作り、スパイスを神秘のものとしていた。シンドバッド物語もその一つである。その閉ざされていた神秘の世界を開いてくれたのがマルコ・ポーロだった。彼の本はその後、ラテン語、ドイツ語、スペイン語やアイルランド語などにも翻訳され、広くヨーロッパで広まっていった。あまりにも信じられない世界が描かれていたので、当時の人々はマルコ・ポーロを嘘つき呼ばわりしていたそうである。「世界の記述は自分が見た事実」だと主張してきた彼の言葉が信じられるようになったのは彼の死後100年のことであるらしい。
「人生は我々が夢みるよりもっとイマジネーションにあふれている」
探検家クリストファー・コロンブス、アメリカ大陸を発見した男の言葉である。マルコ・ポーロに憧れ、スペイン女王と国の支援を受け、新しいインドへの航路を発見しようと西へ向かい、アメリカ大陸に行き着いた。彼が望んだ目的地では無かったが、彼らがヨーロッパに持ち帰った唐辛子、ジャガイモ、トマト、コーンなどはその後、世界に瞬く間に広まり世界中の食卓を大きく変えたとも言われている。特に唐辛子は辛さが人気だったこともあり、ヨーロッパに伝わってから世界中に広まるまで50年もかからなかったと言われている。
その後、ヴァスコ・ダ・ガマにより、アフリカの喜望峰を経由して西インドのゴア、南インドのカリカットへと行き着く航路が開拓され、陸路で運搬されていたスパイスが海路でも運搬されるようになり、スパイスはより安価になり、入手しやすくなっていったそうである、しかしその後はフェルディナンド・マゼランにより世界一周が実現され、世界の海はつながっていることがわかるとヨーロッパ各国がインドやインドネシアなどスパイスの生産地を我が物にしようと各地で戦争が起こっていく。
神秘の扉を開いてしまったマルコ・ポーロ。もしかしたらアラブの人々の素敵な嘘話をずっと信じていたら違った世界になっていたかもしれない。
私は「アラブの素敵な嘘話」をもっと知ってみたいと思った。