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世界の美女に愛されたスパイス

1519年。スペインの王様の命を受け航海に出たのはフェルディナンド・マゼランである。

彼が求めたのはスパイス諸島と言われたモルッカ諸島への航路を発見すること。スペインのセビリアをでたマゼランの艦隊は西を目指しアメリカ大陸を南下し、パタゴニア、チリまでたどり着いた。そして彼らは航路を更に西に切ったのである。太平洋を進み、フィリピンを経由してモルッカ諸島にたどり着いたのである。費やした歳月は約2年。モルッカ諸島についた頃にはマゼランはフィリピンで戦死しており、部下のフアン・セバスティアン・エルカーノが航海を引き継ぎ、その後インド洋、アフリカを経由してスペインのセビリアに戻ってきたのは1522年。3年の月日が流れていた。セビリアを出発した時は5隻あった船も残ったのはヴィクトリア号と言う1隻のみ、船員もわずか18名であったらしい。

マゼランの世界周航とも言われ、人類史上初めて地球を1周したのである。

何が彼らをそこまで焚きつけたのであろうか。

彼らがスパイス諸島で手に入れたかったものは「クローブ」であったと言われている。その頃、ヨーロッパでは14世紀から流行したペストが猛威を振るっていた。その予防薬として注目されたのがクローブであったらしい、もともと殺菌、防腐作用、麻酔、鎮痛作用があると言われ古くは中国やインドで薬として使われていたものであるのでペストの予防薬としてクローブの需要がすごく高まったのだそうだ。この時に生まれたのがオレンジにクローブをたくさん刺して作る「ポマンダー」と言われているものである。

モルッカ諸島(スパイス諸島)が原産と言われているクローブは古くから中国、インドやアラブの商人によって様々な地に運ばれていき、多くの人々を魅了していったそうである。エジプトのクレオパトラは自身の魅力をより引き立たせるためクローブの精油を混ぜた香水をよく使っていたそうで一説によると彼女の乗っていた船の帆もクローブの香りを染み込ませていたそうで遥か遠くからもその船にクレオパトラが乗っていることがわかったとも言われている。

クローブの香りで世の人々を魅了したのはクレオパトラだけではなかったそうで、中国の楊貴妃や日本の小野小町もクローブの香りを好み、様々な機会に使っていたそうである。

歴史上の美女に愛されたクローブ。2000年以上前からインドや中国に渡り料理の味付けや、消臭、薬にと重宝された。日本には5、6世紀に伝わったらしく丁子と呼ばれ正倉院にも大切に保管されているのだとか。16世紀には大航海時代を経て世界中に広まり、18世紀まではモルッカ諸島でしか栽培されていなかったクローブだが、一人のフランス人がモーリシャスにクローブを持っていきそこで栽培することに成功したことにより、東アフリカ沿岸もクローブの一大産地となったそうである。

マゼランの時代には金と同等の価値があったと言われている。成長するまで20年かかるクローブの木は子どもが生まれると植えられてきたらしく、彼らが成長する頃には10メートルから20メートルの高さとなり沢山のクローブの蕾を収穫させてくれる。そして成長したクローブの木はその後100年は毎年2回クローブを収穫させてくるのである。

歴史上の美女も、絶大な権力を持った皇帝たちをも魅了し続けたクローブ。原産地のモルッカ諸島とはアラブ語で「女王の島」と言う意味なのだとか。

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