雲仙とタゴール
湯けむりが立ち昇り、前方の視界も遮られる。いたるところにできた沼のようなところではグラグラと湯が煮え立っている。まさしく「地獄」のような情景を作っている。
長崎は島原半島にある雲仙。硫黄の匂いと温泉の熱気が溢れかえっている。噴火によって発生した火山灰などによって生まれた豊かな土壌が育む作物は生き生きとしていてとても美味しい。私が初めて雲仙を訪れたのは今から約三十数年前。アナンの様々な商品を島原で作るようになってからだ。アナンと島原半島の付き合いはかれこれ35年にもなる。
島原にインド人も当時は珍しかっただろううが、今より100年前はもっと珍しかったであろう。時を遡ること100年。1924年の雲仙にインドの詩人ラビンドラナート・タゴールが訪れたそうである。インドの国歌を作詞・作曲しバングラデシュの国歌も作詞し1913年には詩集「ギタンジャリ」でアジア人初のノーベル文学賞に輝いている。日本の自然を愛する美意識が好きだったタゴールがなぜ雲仙に来たかは私は知らない。雲仙にある九州ホテルに滞在したという石碑が今も立っている。そして一度ではなく何度か雲仙に足を運んでいるそうである。温泉が気に入ったのであろうか、親しい友でもできたのであろうか、食事が美味しかったのであろうか。
島原半島の豊かな土壌を活用して現在では様々な野菜などが作られており豊富なミネラルによって育った魚や動物などもとても美味しい。もしかしたらタゴールは美味しいご飯を食べたくて何度も雲仙を訪れたのではないだろうかと妄想してみると、雲仙・島原・スパイスそしてタゴールをキーワードに何かしてみたくなってくる。
今まで様々なインド人が日本にはやってきている。古くは736年にインドの僧侶、菩提僊那(ボーディセーナ)。彼は752年に東大寺の大仏の開眼供養会の導師もつとめた。室町時代頃、ヨーロッパの人々がアジアに登場するまではインド洋、東シナ海にかけての貿易や交易はイスラム系インド人によって主導されていたと言われている。室町時代の商人楠葉西忍(くすばさいにん)は父がインド人、母が日本人だそうだ。琉球、中国、マルッカなどとの交易が盛んだったそうである。その後は宣教師ザビエルと同行してやってきたインド人アマドール。インド独立運動を戦ったスバス・チャンドラボース、東京裁判で日本の無罪を主張したパール判事、レスリングで活躍したタイガージェットシン。
理由があって来た人もいるし、来て理由を見つけた人もいる。
タゴールが何を胸に抱いて日本に訪れていたかはわからないが。日本を好きであったことは確かなのであろう。
「わたしの知らなかった友に、あなたはわたしを紹介した、わたしの家でない家に、
あなたはわたしを迎えてくれた、あなたは遠くにいるひとを連れてきて、赤の他人を
きょうだいにした。」
タゴールの詩の一節である。なんだか島原とアナンのようだ。