8月15日に生まれて
もともとは11月頃に生まれる予定であったが、3ヶ月も早い8月の15日に生まれた。
8月15日。1947年の8月15日にインドは独立したので私の名前は『BHARAT」になった。
BHARAT バラット、バハラット、バーラット、様々な呼び名を経てバラッツに落ち着いたのが私が2歳くらいのことらしい。独立記念日に生まれたのでBHARAT。「インド」と言う意味であり、インドではインドのことをBHARATと言う。
生まれてからずっと「インドくん」と呼ばれているので、日本で生まれ日本で育ちながらもインドと言うものは常に名前として身近にあった。
学生時代をインドで過ごしたものの私の中の故郷はインドではなく日本であった。
家業でもあったスパイスのことを仕事にしていくにつれ「インド」と言うものが周りにたくさん現れるようになった。「インド」を見てみると、もっとたくさんの「インド」が現れるようになった。混沌や多様性などといった言葉で表されることが多いインドだが、私の中の一つのアイデンテティーとしてうっすらとインドが現れるようになった。私の中のインドは常に顔を変え、形を変えて現れる。うっすらとした輪郭は徐々にくっきりとした輪郭になってくる。そのうちに語りかけるようになった。私の中のインドはなんでも受け入れてくれるし、なんでも叶えてくれる。夢も見せてくれるし、実現をするのも手伝ってくれる。困難も用意してくれるし、幸せも運んできてくれる。貧しさも豊かさも健康も病気も教えてくれる。
思想家であり、哲学者でもある。難しいことを簡単に。簡単なことを難しくしてくれる。
なんでもやってみなよ。
対岸が見えない大きな川の真ん中のボートの上で語りかけてくる。
大きな砂山が何十も先に見える広大な砂漠の中に背中を押してくれる。
ほのかに陽の光が入るジャングルの中でも、荒れ狂う海の上でも、
やってみなよ。
時々で姿形を変えながら「インド」は私の背中を押してくれる。
希望なのかもしれないし、欲望や願望なのかもしれない。
故郷、居場所、アイデンテティーなどといったものがあやふやな日本で生まれた「インドくん」に「インド」は大きな手を広げて待ってくれているようでもある。
我々はただ走って向かっていけば良いのだろう。
きっとその先に失ってしまった故郷があるのかもしれない。
インドに希望があるかはわからないがBHARATはきっと楽しくなるのではないだろうか。
いずれに転んだとしても哲学を残してくれるような気がしている。