大きなマダガスカル島
アフリカ南東にある島「マダガスカル」についた初日はとても疲れていた。成田を夜の9時に出 発してソウルとエチオピアのアディスアベバで飛行機を乗り換えマダガスカルのアンタナナリヴォ 空港についた時には出発してからちょうど24時間が経過していた。マダガスカルの友人が特別 な料理を用意してくれていたが、しっかりと味わうこともできず眠気と戦っていた。眠る前に飲ん だバニラが入ったラム酒がじわりと身体中をめぐりベッドに倒れこむように眠りに入った。翌朝 からバニラの旅が始まる。友人のいとこがマダガスカルの東海岸でバニラ農園をやっているの だ。最近はシナモンやクローブ、ペッパーなども栽培しているのだとか。
お粥のようなものとしっかりと味付けされた牛肉が朝食に出された。マダガスカルの定番の朝 ごはんなのだとか。最近ではパン食も増えてきたが元々は毎食ご飯を食べるのだとか。マダガス カルはその昔、誰も住んでいない大きな島だった。1世紀ごろに船でやってきた人々がその船を ひっくり返してそのまま家にしたのだとか。そしてその船は東南アジア、インドネシアの方から やってきたのだとか。彼らが定住するようになったのが人が住み始めたマダガスカルの歴史の始 まりだとも言える。その後アフリカ東南部の人々や8世紀ごろにはアラブの人々、そして150 0年代からはヨーロッパの人々が多くやってくるようになり1800年ごろにはフランスの植民地と なり1960年代マダガスカルが独立して共和国となるまでそれは続いたそうである。
マダガスカルの人々を見ると確かに東南アジアのような顔をした人たちも、アフリカ系の顔立 ちの人もいる。友人のいとこは長い間ドバイやジョーダンに住んでいたこともあり、現地の人々 に溶け込むように生活していたという。アジアから中東、アフリカとどこに行ってもそこに住ん でいそうな顔に見えるかもしれない。
さてそんな長く、複雑な歴史を持ったマダガスカルの旅は到着の翌日の朝から始まった。朝食 を食べながら地図を見て道を確認する。「そんなに離れてないから、お昼過ぎにはバニラ農園か な。。。」そんな会話をしていたのをかすかに覚えている。始めは順調であった。途中でマダガス カル名物のソーセージと現地のビールの飲み、景気良く道を進んでいった。昼ごはんに寄り道をし た。改めて地図を見てみると全然進んでいなかった。山道と舗装が行き届いていない道路は穴ぼ こばかりだったせいだ。いつしか日も暮れ外灯が1つもない真っ暗な道を車のかすかな明かりを 頼りに進んでいった。友人の別荘に着いたのは21時過ぎであった。バニラ農園は明後日にお預け になってしまった。
湖畔に佇む友人の別荘は真っ暗闇の中にあったのでどこに湖があって、どこに隣の家があるか もわからなかった。案内されるがままに夕食後に小さなボートに荷物を積み込み隣の別荘まで連 れて行ってくれた。
翌朝は4時半に目が覚めた。ベランダに出てみると目の前には真っ白の砂浜にピンク色の朝日が 昇るのを待ちわびた空、ゆっくりと進む雲を鏡のように移す湖が目の目の前に広がっていた。
すぐさまリビングに戻り椅子を引っ張り出してきて砂浜におき座って朝日が昇ってくるのを待 ちわびた。昨日ボートで我々を別荘まで運んでくれた船頭さんがボンジュールと行ってコーヒーを 持ってきてくれた。
日本を出発して48時間。移動に移動を重ねてきた疲れが一瞬にしてどこかに行ってしまった。 この景色を見ることができるのであればいつだって地球の裏側に行きたい。
そんな絶景が眼前に広がっていた。