ブッダを名前で呼びかけることは不敬である
仏教におけるブッダの筆頭は言うまでもなく釈迦如来であり、その釈迦如来の本名はゴータマ・シッダッタ(ガウタマ・シッダールタ)太子であるが、仏教徒はブッダに対してこの名前で呼びかけてはいけないのである。これは釈迦如来ご自身が説かれていることなのである。
『大品』(『マハー・ヴァッガ』)の言葉
釈尊が成道された後、五比丘の元へ赴かれた時に彼らが釈尊を本名で呼んだり、「君」という言葉を用いたが、これを釈尊は諭された場面が『大品』にある。
岩本裕博士の訳で窺うと、
釈尊ご自身が仰せられることであるから、もし仏教徒を自任するならば決してブッダのことを本名などで呼んではならないのである。釈尊を本名で呼ぶことなどは仏教徒以外の人がする行為であるわけだから、重々気を付けなければならないのである。
『過去現在因果経』の言葉
上記のことは、仏伝経典である『過去現在因果経』にも説かれている、
ブッダを姓で呼ぶなという、これは釈尊ご自身は覚者であり、煩悩は滅しておられるのであるから、当然に分別してそのように仰っておられるわけではなく、我々の憍慢心によって仏を誹謗して悪業を招かぬようにとの釈尊の御慈悲から発せられた言葉なのである。それは世間に例すれば、子供が両親のことを名前で呼ぶことは道理に違うように、仏子たる仏教徒が親であるブッダのことを名前で呼ぶことはないというのである。
仏教徒の態度
釈尊の仰せられるところから仏教徒は今一度ブッダとの向き合い方というものを考えなければならない。釈尊は現在も常住にして在ます方であるからこそ、尚更不遜な態度を取るべきではないと思えるのである。