江戸時代の禅僧に鈴木正三という方がおられ、その正三道人が著した『因果物語』なる転籍がある。これは正三道人自らが実際に体験した人々から聞いた話をそのまま収録したとのことで、その序分に、
と記している。
この書籍の中に、反面教師として学ぶべき禅僧がいる。現代の仏教徒にありがちな誤れる信仰によって報いを受けた逸話である。
『因果物語』の巻第二に収められている、
今の岐阜県美濃の辺りに関山派(関山禅師の流れを汲む?)の禅僧がいたようで、その仏教に対する考え方は極端な唯心論というか、空論・空病というかそれをもって、我が心、我が身の他には仏も何もないというようなものだったという。
したがって、神木も仏像も先祖供養なども所詮は心の描き出した想念によるもので、全て破却してしまったのである。
当然、仏教では因果応報や業報を説く故に、仏像破壊などは五逆罪に準ずる行いであり、先祖を蔑ろにするのは七不退法のひとつを破棄するものである。
その結果、禅僧は命終にあたって、地獄の火車が現れて悪しき最期を迎えてしまった。禅僧を信じた信徒も同じように疫病などで苦しむことになった。
後に民衆は考え方を改めて、破却する前の元の状態に全てを戻して安穏に過ごすことができたという。
現代でも、上座系や禅門系の実践者で、勝手な判断でもって自分以外に何も認めず、客観の仏像や先祖供養などを蔑ろにする例は多くある。
臨済宗の夢窓疎石禅師は仏像などを蔑ろにするなと云っておられる。
先祖供養については、『涅槃経』に七不退法のひとつとして説かれる、
上記のように禅門であろうと上座系であろうと『因果物語』の禅僧のような態度を肯定されてはいない。
現代ではこの禅僧のような意識で仏教を据える人が多いのではないか、これは完全なる外道であり、よくよく気をつけなければならない。
南無帰依仏
南無帰依法
南無帰依僧