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Summer Hole
明日から夏休みだというのに、ぼくは落ち込んでいた。
たくみもけいたも、海に行こうとか、新しく発売されるゲームをどうやって手に入れるか作戦会議しようとか、カブトムシだのセミだの、休み時間が始まるとぼくの席に来て、ここ二、三日は夏休みの話題で勝手に盛り上がっていた。
今日のぼくは上の空でため息ばかりをついていたけれど、そんなことは全く気にしていないようで「とりあえず、明日はプール行こうぜ」なんて言っている。
でも、それでよかった。夏休み直前の、ウキウキを壊したくなかった。ぼくの沈んだ気持ちは自分の中で解決すればいい。
「今日も秘密基地集合な」の約束をしてふたりは席に戻っていった。
後ろから二番目の窓側の席から外を見る。校庭ではスプリンクラーがまわっていた。一年生が育てている朝顔の鉢植えはどれも、水を欲しがっているように見える。一度でいいからあの水しぶきの中に入ってみたいと思った。ずぶ濡れになって、はしゃいでみたいと。
最近家の中が暗い。
かーちゃんは時々泣いているし、とーちゃんは今まで以上に大学で研究に没頭しているから、家にあまり帰ってこない。
そしてぼくもとても悲しい気持ちになる。
でも、なぜ悲しんでいる自分がいるのかわからなかった。考えようとすると確実に押し寄せてくる何かがぼくを飲み込んでしまいそうで、考えるのをやめる。最近こればかりだ。頭の中がどうにかなりそうになる。
放課後、秘密基地へいった。リュックに水筒とスナック菓子と読みかけの漫画を入れていった。水筒に入れるスポーツドリンクの粉末を探したけれど、どこにも見当たらなかったから仕方なく冷蔵庫にあった麦茶にした。氷を入れた水筒を傾けるとカランと涼しげな音がして好きだ。
ふたりともまだ来てなかった。先に着いたぼくは基地内の掃除をした。
秘密基地を共有する上での約束の一つ、「ゴミは持ち帰ろう」はどこへ?というほどの散らかりようだった。たくみが好んで食べていたグミの袋が圧倒的に多くて笑ってしまった。「グミは硬ければ硬いほどうまい」なんて言ってたな。それにいつもぶどう味。
けいたは何が好きだったんだろう?たくみのこだわりようが強かったせいか、けいたが好んで食べているものが全く浮かんでこないことに気がついた。そういえば、甘いものが苦手だったかもしれない。
けいたは女子にモテた。いつも女子から手作りのお菓子をもらっていた。
その度にここへ持ってくる。
「甘いの苦手だからどうにかしてほしい……」と言って。
たくみは頑として、その手作りお菓子には手をつけなかった。「お前がもらったんだから自分でどうにかしろよ」そう言われたけいたは「そうだよな……」と言い家に持ち帰った。
後から知ったことだけど、たくみが密かに想いを寄せていた女子が、けいたに手作りのクッキーを渡したことがあったらしい。苦い思い出だ。
ゴミを拾っているだけでこんなことを思い出すなんて、ぼくはもうここから去ろうとしているのか?という考えが頭の隅の方で、一本の光みたいにすっとよぎって消えた。ぼくはゾッとした。
雑木林の中で枝木の太い木を選んで作ったぼくたちの秘密基地。これからだってここに集まって三人で遊ぶのに。
基地から見下ろすと地面が黒くまるくにじんだように見えた。そうしているうちに、パラパラと葉を打つ音が聞こえだし本格的に雨が降り出した。
スナック菓子の袋を開けて漫画本を開いた。特別な力を持たない普通の男がヒーローになっていくストーリー。
なんの取り柄もないぼく。
クラスのリーダー的存在のたくみとけいた。ぼくはふたりに憧れていた。
六年生になって、けいたに声をかけられた時、正直怖くて目を合わせられなかった。
「あ、おれけいたっていうんだけど、って知ってるか……」
背が高く整った顔立ち、優しい声。
遠慮がちに、ぼくの様子を伺うような姿に恐怖は安心感に変わった。
「うん……けいたくん……知ってるよ」
「実は、相談したいことがあってさ、聞いてくんない?」
消え入りそうなぼくの声にも耳を傾けてくれている。
憧れていた男子が、ぼくに話しかけている。
その日の帰り道はいつもと景色が違って見えた。
目の前が明るくぜんぶの輪郭がくっきりしていて、ぼくという存在がここにあるということが、足の先からじんじん伝わってきた。
けいたが相談してきたことは、秘密基地の作り方についてだった。
たくみと計画を立てているが、なかなか前に進まない。で、なぜぼくに相談してきたかというと、実はぼくが県で行われた「未来の秘密基地」という模型コンテストで入賞したからだ。力をかしてほしいと言われた。
そのコンテストは夏休みのチャレンジ研究の中に組み込まれていた。当時5年生だったぼくは迷わずそれを選んだ。何かを設計すること、計算すれば思い通りのものが出来上がる。とても気持ちのいいことだった。
全校集会で校長先生に名前を呼ばれ、賞状とクリスタルの置物を渡された。ステージの上はとても居心地が良かった。
その後、二、三人に「すごいじゃん」と声をかけられたけれど、ぼくが設計について熱く語り始めると「そこまで詳しくはいいよ」と拒否され、それで終わった。
「あんどうくんってちょっとキモいよね」(あんどうはぼくの苗字)と女子たちが囁いているのも聞こえてしまい、だからぼくがクラスの中で積極的になることも、友だちが増えることもなかった。ぼくは人と喋ることが苦手なんだ。人との距離の取り方もわからない。だから、なんにも変わらない。
賞をとったことも忘れていた。
木の上に基地をつくりたいと思っていること。
雨に濡れないようにしたいこと。
秘密基地なんだからそれらしくあること。
けいたが言っていたことを思い出しながら、まっさらなノートにイメージ図を描いてみる。ぼくは夢のような時間を、現実の中で過ごすことになったのだ。
ふたりが知らないことをぼくが知っていた。
ぼくの提案をふたりが聞いてくれる。
クラスにぼくの居場所ができた。あのステージに立った時のような心地よさだった。
雨が激しくなってきた。
「ふたりとも今日は来ないのかな……」ため息をつきながら薄汚れたマットに座った。床にはたくみが家から持ってきたクッションマットが所々にひいてある。
あれ?と違和感を感じると同時に、ぼくは何か恐ろしいことを思い出してしまいそうで、頭を抱えた。
ぼくは四つ這いになり、いくつか並べてあるうちの一つに向かった。「クッションマットニ、フレルナ。フレルナフレルナフレルナ」耳の奥でくぐもった声が続いている。
ぼくはその声に従いたかった。でも、確かめるべきだという自分もいた。
一瞬、ある記憶が映像とともに蘇る。
見上げるとふたりの歪んだ顔があった。
ぼくは必死に助けを求めた。
「落ちるよ落ちるよ落ちるよ助けて助けて助けて」
ふたりにぼくの声が届かない。
違う、気がつかないふりをしている。
右手が痺れてくる。
その時、上から何かで蓋をされた。
ぼくは暗闇の中に落ちていった。
ぼくはクッションマットに触れて全てを思い出した。
ここにぼくは存在していない。
ぼくは死んだんだ。
秘密基地の床の一部から落ちて頭を強く打ったんだ。
秘密基地がもうすぐで完成する。そんな時に、たくみから声をかけられた。
「後はけいたとふたりでできそうだから、ありがとな」と。
ぼくは、たくみの言っていることが理解できなくて
「でもまだ完成してないし、床が抜けないように最終チェックしたいし、それに」と言いながら、なぜか言葉に詰まってしまった。
もっといろいろ聞いてほしかった。これで終わりなんていやだった。だから「待ってよ待ってよまだ完成してないよ完成してないよ」必死に伝えた。なのにたくみは、強い口調でぼくの言葉を消した。
「だから、もういいっていってんの。しつけーよ」
ぼくは、そこから動けなくなってしまった。
ぼくたちの秘密基地なはずなのに……。そんな思いが日に日に強くなっていった。
もしかしたら、けいたはぼくのことを待っているかもしれない。たくみに言われてぼくを避けているのかもしれない。
ぼくが設計したぼくの基地なんだから、ぼくだって使う権利はあって当然だ。それに時々点検だってしないといけない。
たくみも、大丈夫なんて言ってしまった手前、困ってもぼくに話しかけられないのかもしれない。
ぼくは、秘密基地に入った。初めはふたりがいない時に。でも、そのうちに気にすることなく、入っていった。
ふたりは徐々にぼくを受け入れてくれるようになった。
一緒にお菓子を食べた。
漫画を回し読みした。
毎日が楽しかった。
ぼくは早口で喋りまくった。
楽しいね楽しいね楽しいね。
ぼくは、やっと居場所を取り戻せたんだ。
たくみ、けいたへ
ぼくの設計した秘密基地、気にってくれて嬉しいよ。
でもなぜ、床に穴を開けたの?
ぼく時々点検してたのに、気がつかなかったよ。
あそこぼくがいつも座る場所だったよね。
クッションマットひいてあってわからなかった。
明日から夏休みだね。
ぼくのもやもやしてる気持ちやっと晴れたよ。
ぼくわかったんだ。
たくみとけいたが大好きだ。
だって、夢のような時間をくれたからね。
でもさ、この世界ではうまくいかないこともあったよな。
そういえば、明日はプールに行くんだよね。
ちょうどよかった。
ぼくさ、そこで待ってるね。
秘密基地の穴と繋げておくよ。
あっ、そうか。
この時のために穴開けたんだね。
ぼくはこの夏を抜けて明るい場所へいく。
もちろん、ふたりといっしょにね。