鎌倉殿の13人 範頼の旅(修善寺トークショー)
蒲冠者範頼。
源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、母は遠江国の遊女とされている。
彼ほど歴史で不当に低く扱われてきた武将はいない。
彼にとっての最大の不幸は弟に九郎義経がいたこと。
平家攻めの総大将は範頼で義経は一部隊の司令官に過ぎない。
平家物語が伝説を吹聴し過ぎたため、義経の評価は肥大化して範頼は凡将として当然のように扱われてきた。
「鎌倉殿」で蒲殿として親しまれてきた範頼が終焉を迎える日。
その最期の地「修善寺」で範頼を演じた迫田孝也さんのトークショーが開催された。
品川から「こだま」で三島下車。伊豆急行に乗り換えて30分。
都内から1時間半と修善寺は意外に近場だった。
修善寺駅からバスで修善寺に到着。
この寺を中心にコンパクトに町が形成され史跡が点在し、また温泉宿や日帰り温泉もあり、訪れやすい観光地となっている。
まず、範頼が幽閉されたと言う修善寺へ。
頼朝の子「頼家」もここに幽閉されている。
ドラマでは頼家の地位を盤石にするため範頼は頼朝に排除されるが、結局頼家も権力闘争に巻き込まれて頼朝の死後ここに幽閉されるのは皮肉。
トークショーでは迫田氏から「範頼が修善寺に幽閉されたのは修善寺を流れる桂川から狩野川に下ると北条の領地となり、頼朝に命じられた北条家が監視しやすい立地」だからと言う鋭いがコメントが話された。範頼役の迫田氏は歴史を良く勉強されている様子。
真田丸から数年を経て性格俳優として最近は売れっ子の感がある迫田氏。
範頼役も抑制の効いた演技の中にキラッと光る名演技を見せてくれた。
初登場回の「道に迷った」の場面では自分が出過ぎたと反省し、軌道修正し自分を抑えた演技プランにしたと。
真っ直ぐで実直で裏のない性格。
それでいて勇敢さもあり、彼が生きていたら頼朝死後も源氏は安泰だったと思わせてしまう範頼を見事に作り出した。
修善寺から10分ほどで歩くと山の中腹に範頼の墓がある。
ドラマでは書状に「源」と書いたことを大江広元に咎められことが失脚の原因となっていたが、墓銘碑には「従五位下 参河守 源範頼公墓」としっかりと記載されていた。
迫田氏の名演により歴史の中では目立たない存在だった範頼がここまでクローズアップされたのは感謝しかない。
義経でさえ描かれなかった死に様がしっかりと刻印されたのも印象的。
大河での範頼が生き延びていたら、源氏の幕府も続いていたと思ってしまうほどだった。
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