クラスでのzoomの顔出しについて考える
カナダの大学で日本語を教えています。秋からの授業がオンラインになることがわかってから、ずっと考えていることがあります。
zoomの顔出し。
3月に3日でリモートになった時には、zoomは使ったことがなかったし、何もわからず、とにかく、自分が信じていた感覚だけで学生に接していたような気がしてきました。zoomのクラスでは顔出しは当然でしょうと思ってきて、学生には「できれば顔を出して」と言ってきました。
多くの先生方が話しているように、学生は、最初は顔を出すけれど、だんだん顔出しは無くなってきます。私のクラスの場合には、「松たか子」やら「松田聖子」が出てきたり、怪獣もいたこともあります。知っている学生ばかりだったし(途中からオンラインでしたから)、また、ロックダウンで外へ出てはいけない状況もあって「人にはとても見せられないことになってしまった」という人もいて、私も「まあいいか。」と思いました。
顔が見えないとやりにくいとか、学生の様子がわからないとか。いろいろあるのですが、今は、どうやったら顔をずっと出さず、信頼関係を築きながら12月まで走り続けられるかと真剣に考え始めています。
顔出しには問題があります。
例えば、間違えて変なことをしてしまった映像が録画されたところに残っていて、そこが切り取られてSNSで出回ってしまった。そして、最近聞いた話では、zoomの授業中にずっと人からみられてしまったり、または録画を取られたり。そういうこともあると聞きました。
確かに。そういう可能性はあるでしょう。
春のクラスでは、顔出しの強制はしなかったのですが、日本の小学生向けのzoomの授業の心得を気晴らしに見せた時、「zoomで顔を出さないのは失礼た!」というシーンがあり、それをみて反省をしたという学生が顔出ししてくれましたが、振り返りに「みんなの前に顔が出て、話をするとスクリーンいっぱいに顔があって、本当に、悲しいくらい、恥ずかしかった」と書いてあって、切なくなりました。やっぱり、そういうことは違うだろうと思うに至りました。
さて。では、どうやったら、学生と繋がることができるか。
実は、春の授業で40時間あまり、11人プラス3人のアシスタントと時間を過ごしました。顔出しはアシスタントのみ。授業を履修している学生は、ほとんどが顔を出しませんでした(時々、気が向いた時に、顔を出してくれる学生はもちろんいましたが)。それでも、楽しかった。学生には毎日グーグルフォームに振り返りを書いてもらったけれど、顔も出していないのに、「今日は新しい友達ができた」とか、「映画の話をしてすごく楽しかった」とか、「あつまれどうぶつの森が好きな友達に会えて嬉しかった」とか。顔を見なくても、友達になれたという表現があちこちにあって、そもそも、感覚が私とは違うのであろうと思うに至りました。
とにかく。顔がわかるものを出してもらう。そして、毎回、ちょっとだけ顔を出してもらう。その方法を真剣に考えています。
*1分くらいの自己紹介録画してもらい、LMSにアップロードしてもらって、最低3人にコメントを入れてもらうとか?
*コメントは、録画にしてもらえば、声とその学生の日本語のレベルも記録できるから、替え玉録音の防止になるかも。。
これまで大学で130コースくらい教えてきたけれど、本気で日本語を勉強したくて努力する学生がほとんどでした。でも、100%そういう学生ばかりではないのが悲しいところ。でも、それが現実。
問題はzoomの顔出しだけじゃないけれど、今回は顔出し問題について、今思うことを記録しておこうと思います。