私なりの特別な「好き」を考える
私は今、自分のことを「アセクシャル・アロマンティックかも?」と思っている。まだ確証を得たわけじゃないけれど、Aro/Aceスペクトラムの中にいる人間であることは濃厚な気がしている。そして、ずっと考えていることがある。自分の中にある感情と、ない感情について。周りの言う「恋愛」や「性愛」がよくわからない。うまく共感ができない。それでも、私の中には私なりの「好き」が色々あって、自分の中でとても大切な感情なんだと意識をするようになった。一年の初めに、そのことについて吐き出しておこうと思う。
まだ明確な答えが出ていない部分も無理やり言語化しているので、もしかしたら何を言っているかよく分からない文章も多いかもしれない。少し長くなりますが、よければお付き合いいただければ幸いです。
恋愛感情じゃなくても、「好き」は色々ある
現時点で恐らく、私の中に「一般的な恋愛感情」はない。特別この人とセックスしたい!と思ったことはないし、この人を独占したい!とか、この人に自分だけを見てほしい!と思うこともほとんどない。恋人を作りたい、誰かと付き合いたいとも思わないし、結婚願望もない。「好き」の気持ちと性欲・独占欲がほぼ結びついていないのだと思う。もしかして私って人全般に興味がなさすぎる???と思って悩んだ時期もあった。私は一人で過ごすのが好きで、孤独や孤立への耐性もそれなりに強い方だと思う。それでも、AroAceという言葉を知って、私の中に生まれる感情についてじっと見つめるようになって、私は別に「好き」の感情や「人と関わりたいという欲」が全くないわけではないらしい、とも思うようになった。恋愛ではなくとも、私には私なりの「好き」があるらしい。それは一種類じゃなくて、「友愛」や「家族愛」と呼べる分かりやすいものもあるし、濃かったり深かったり浅かったり波があったり、とても複雑なものもあった。それを見つめて確かな言葉にしていくのはとても難しいけれど、昔と比べると少しずつ感情の解像度が上がっているのを感じている。
恋だと思っていた特別な感情のこと
AroAceの人間として珍しいのかどうかはわからないが、私は小さい頃から20代半ばになるまでは自分が恋をしないだなんて思っていなかった。今は自分に「一般的な恋愛感情(=性欲や独占欲と結びついた「好き」)」はないと思うようになったけれど、実は、私にはずっと「恋」だと思っていた特別な「好き」があるのだ。その特別な感情は私が10年以上ずっと「恋」だろうと勘違いしていたくらい「恋」に近くて、でもその感情を「恋」だと思って行動すると認識違いで周りも自分もしんどいことになるということを苦い経験を経て実感した。だから、今はもうこの感情を「恋」と呼ぶことは避けている。
無理やり表現をするなら、その感情は「どうしようもなく意識してしまう好ましさ」のようなものだ。理由も分からないままに「この人を目で追ってしまう」「この人のことが頭から離れない」「もっと話をしてみたい」と思ってしまうような、そんな「好ましさ」。それは少女漫画に出てくる「一目惚れ」のような見た目に惚れ込むものではないのだが、「友情」のように仲を深めた先に生まれる感情とも違っていて、その人の中身を十分に知る前から理由なく発動することが多い、そんな好ましさだ。憧れにも似ているけれど、何か尊敬するポイントが具体的にあるから発動する、という明確な理由も挙げられないことが多かった。ただとにかく頭の中がその人に持っていかれるような、そんな感覚になることがたまにあるのだ。
振り返ると私は、これまでに幾人かの特定の人に対してこの「どうしようもなく意識してしまう好ましさ」を感じることがあった。小学校のときのクラスメートの男の子や、部活が同じだった先輩、バイト先で出会った男の子、大学の通学ルートが同じだった女の子。他にも数え上げると何人かいるが、一年に一人出会うかどうかくらいの頻度で私はそういう感情を強く抱いた。私は異性(男性)に対してこの感情が発動することが多くてそれが恋と思い込むひとつの原因になったが、同性(女性)に対して発動することもあった。その感情を抱えながら仲良くなって友人になった人もいるし、特段交流を深めることなく疎遠になった人もいる。私は一度だけ男性とお付き合いをさせてもらったことがあるのだけれど、その方にも当初この感情を少なからず抱いていたように思う。
「付き合う」も「失恋」もわからない
「目で追ってしまう」「頭から離れない」と書くとやっぱりまるで「恋」のようなのだけれど、私のこの感情には独占欲や性欲が全然伴っていなくて、「両思いになる」「付き合う」「結婚する」というゴールは不思議と全くなかった。ただただ「ああ、この人は好ましいなあ」「この人の考えを知りたい、話を聞きたい」「この人とゆっくり対話ができたら嬉しいのになあ」などと強く思うだけ。例えばその人に恋人がいたって、それはそれで別に構わないのだ(恋人がいるから二人きりでは話しづらくなる、という事実についてはちょっと悲しいけれど、それでもちょっと悲しいだけでその人を独占したいとは全然思えないし、その人が恋人と幸せになるならそれが最高だな、と思うのだ)。だから、「恋」と似てはいるけれども、はっきりと異なるものじゃないかと今は思っている。
話は変わるが、いつも私が恋愛の話でうまく理解できないのが「失恋」という状態だった。”失恋したから忘れて別の人を探す”とか、”別れたから思い出を消す”とかの気持ちが全然理解できないのだ。好きな人が幸せになるならそれで良くないか? なぜ大切だった気持ちや記憶を消してしまうのか? 恋を「失う」って何??といつも不思議に思ってしまう。だから友人が失恋してもうまく寄り添えないし、失恋ソングにもうまく共感ができない。私はこのことをずっとうっすらと恥じていたのだけど、私が「失恋」の感覚を理解できないのは、私に「恋人にしたい=恋を叶えたい」という欲望がないからなのではないか、と最近思うようになった。”相手に恋人がいることを想像しても辛くないならそれは好きじゃないんだよ”みたいな言葉が私はずっとよく分からなくて、じゃあ私の「好き」は何なんだろう、と思っていた。きっと多くの人は「好き」の感情と「恋人にしたい」という欲望が一緒になっているから好きな人とペアになろうとするし、ペアになれないとなると「失恋」になって別の人と新しい恋をしようとするんだけど、私は「好き」の感情と「恋人にしたい」という欲望が紐づいていないから「失恋」のしようがないのだ。これは私の中ではとても大きな発見でした。
じゃあ、この「好き」は何なんだろう
この特別な感情について、私は誰かに話したことがほとんど無い。AroAceの言葉を知る前はこの感情を恋だと思っていたけれど、告白はしたことがなかったし、”好きな人いる?”と聞かれても基本的にはぐらかすようにしていた。今思えば、「付き合いたい」「独占したい」わけではなかったから本人にも他人にも開示する気にならなかったのだと思う。(加えて言うなら、好きな人が被って揉めるようなよくある恋愛のゴタゴタがとても苦手だったこともあるかもしれない。)
学生時代、この感情を同学年の男の子に抱いていた時期に、一度だけ当時の友人に「〇〇くんが好きかもしれない」と打ち明けたことがあった。ただ、「えー!おめでとう!応援する!」と友人に言われたあと一向に私が付き合おうとするそぶりも思い悩むそぶりも見せなかったので、その後は何も進展せずに終わってしまったような記憶がある。私にとってこの「好き」は特別な感情だったけれど、それでも友人やクラスメートとして関係を続けるくらいが心地いいような種類の「好き」だったのだ。もうぼんやりとしか思い出せないし当時は何も思わなかったが、友人から見れば、もしかしたら私は”本当にその人が好きなの?”と思われるような不思議な振る舞いをしてしまっていたのかもしれない。やっぱりそれは、全く恋ではなかったのだ。
この「好き」は恋じゃないけど、私を動かす感情だと思う
この文章を書こうと思ったきっかけは、久しぶりに新しくこの「どうしようもなく意識してしまう好ましさ」を感じる人に出会って、大きく心が動いている(し、行動も活発になっている)自分に気付いたからだ。そんな私が最近ずっと疑問に思っているのは、じゃあ私のこの特別な「好き」は何なのか?ということである。偏愛?寂しさ?承認欲求のひとつ?? …う〜〜ん…、全っ然分からない。けれどとりあえず、私にとって大切な感情であることは確かなのだと思う。恋愛のようなゴールはないけれど、私はこの「どうしようもなく意識してしまう好ましさ」に突き動かされて人と関係を作ってきたし、そうして出会った人に影響されて何かを学んだり、進路を選んだり、好きなものが増えたり、人生が豊かになっていった実感が確かにある。「どうしようもなく意識してしまう好ましさ」を元に得た経験は、具体的に挙げればきりがないほどたくさんある。自分がAroAceかもしれないと思い始めてからの一年半は結構不安定で、自分って恋人も作らないし結婚もしないし人間関係激狭だし、これからもパッとしない地味でつまらない人生なのかも、、人間としてダメなのかも、、とか思っていたのだけど、振り返ってみると私は結構「好き」の感情を元に色んな経験をしてきたのだ。こんな生き方も捨てたもんじゃないのかもしれない、って、ようやく少しだけ思えるようになってきたかもしれない。
そういえばそもそも、この「どうしようもなく意識してしまう好ましさ」はAroAce特有の感覚なんだろうか。それとも、表立って言語化されづらいだけで実は多くの人が抱えている感情なんだろうか。AroAceを題材にした作品は少しずつ増えていて、AroAceのキャラクターが出てくる作品も見かけるようになってきたように思うけれど、この感情を題材にした作品ってあるのかな。「恋愛」「友情」「家族愛」といったわかりやすい枠から外れてしまう種類の、「強い好ましさ」の物語。『恋せぬふたり』や『今夜すきやきだよ』は近いかな…?(二作とも個人的に大好きな作品です。)ゴールが「付き合う」「結婚」ではない、でも各々の「強い好ましさ」で繋がって人生を動かすような、そんな物語があるなら読んでみたいし、もしそんな経験を持つ人がいるなら話を聞いてみたい!って思う。AroAceという少数派に属するかもしれない一人の人間として、「これは自分だ」と思える文章や物語は本当に本当に貴重だし、これからもそんな作品がたくさん増えていってほしいな、と思う。
おわりに
この文章もそんな一つとして誰かに読んでもらえたら嬉しいなと思って書きましたが、う〜〜〜ん……、途中でよく分からなくなってしまいましたね…。共感してもしなくても構わないけれど、私はこんな感情を持っているよ、という発信がしたくて長い文章になってしまいました。
今日はこれくらいで終わりにします。ありがとうございました。