はるまきごはんと『初音ミク』の話 ~今までの10年、そしてこれからの10年~【ボカロリスナー presents Advent Calendar 2024】
※サムネイルは、はるまきごはんさんのX(旧:Twitter)よりお借りしました
※この記事には『ハンドメイドギンガ Finale-新しい旅-』のネタバレが含まれています
はじめに
皆さん初めまして、そうでは無い方は2ヶ月ぶり。
B,F(@BigBigfriend333)と申します。
普段はボカロリスナーとして全曲チェックをしたり、曲紹介配信をしたり、ボカクラでDJをしたり、曲レビュー記事を執筆したりと、ありがたいことに色々と活動をさせて頂いている者です。
さて、今回は毎年恒例企画、obscure.(@voca6458)さん主催の「ボカロリスナーアドベントカレンダー2024」参加記事となっています。
本企画も6年目、つまり参加記事も6個目となる訳です。去年は初めて1枠目を逃し、お気持ちnoteなるものを世に放出したのですが、本当に1年というものはあっと言う間に過ぎていきますね。
毎年企画してくださっているobscure.さんには、改めて感謝を。
▼去年のnote
▼1枠目
▼2枠目
今年も1枠目は満員、2枠目も半分以上埋まっているなど相変わらず大盛況で、参加者としても嬉しい限りです。
1枠目の前日担当はエイム(@Aym_eschata_23)さん、2枠目は天雲 鈴(@Cookei_poke)さんです。おふたりの参加記事はこちら。
転職に、主催DJイベントに、ニコニコ動画爆破。色々とバタバタと過ごした2024年でしたが、1年を通して私の心の大部分を占めていたものがあります。
そう、はるまきごはん作品です。
はるまきごはん10周年
何を隠そう2024年とは、はるまきごはん氏10周年の年なのです。
処女作『WhiteNoise』が投稿された2014/02/07、氏が17歳から18歳になったその時。そこから遂に10年という時が過ぎ去ったのです。
『銀河録』で出会った私も、はるまきごはん作品を聴き始めてから8年経ちました。
今考えると、私も17歳から18歳になる年に出会えたんですね。
そして本年2024年、氏は10周年企画として、様々なコンテンツをリリースされました。その口火を切ったのは、氏の28歳の誕生日に投稿された『僕は可憐な少女にはなれない』と、10周年記念ライブの『ハンドメイドギンガ』です。
もうね、めちゃくちゃになりましたよ私は。こんなに狂わされる予定じゃなかった。
はるまきごはんは少女になりたかったんですよ!!!!!!!(n回目)
ぐちゃぐちゃに心を搔き乱された結果、2024年のDJイベントにはレギュレーションの関係で無理な場合を除き、必ず1曲はセットリストにはるまきごはん作品を入れるなど、沢山のオタク活動をさせて頂きました。
また、活動の一環として私は、ひとつのnoteを執筆しました。
さて、本記事では、上記noteで述べた考察と、2024年のはるまきごはん作品を元に、はるまきごはんと『初音ミク』 の話をしようと思います。
上記noteが未読な方向けに、いったい何の話をしていたのかをざっと説明しますと。
はい、”初音ミク” の初の字も出てきませんね。それもその筈、当時私は敢えてこの話を省いて執筆したのです。
では何故、今回この話をnoteとして執筆することにしたかと言うと、はるまきごはん10周年企画が終わり、一通りの考察材料が揃ったからです。
ここからは考察(またの名を妄想)を書き綴っていきます。苦手な方や自分で色々考えたいよ!という方は今のうちにブラウザバックしてくださいね。
代弁者である ”初音ミク”
ところで、皆さんは ”初音ミク” をご存じですか?
”初音ミク” とは、2007/08/31にクリプトン・フューチャー・メディア株式会社(以下、クリプトン)より発売された合成音声ソフトウェアおよび、バーチャルシンガーです。
”初音ミク” が発売されてから早17年、その間に ”初音ミク” を使用した所謂ボカロ曲が、そして曲を作るボカロPが、そして合成音声ソフトウェアが数多生まれました。
ボカロ曲の中には、合成音声をあくまでボーカル(ソフトウェア)として用いているもの、キャラクターとして注目しているものなど、本当に様々な形の作品があります。
統計に基づくものではなく主観ではありますが、数多の合成音声キャラクターの中でも、 ”初音ミク” はとりわけ特異な立ち位置の存在であると思います。
”初音ミク” は誰かにとっては良き隣人であり、データであり、パートナーであり、アイドルであり、物語のアクターであり、信仰対象であり、楽器でもあります。
そしてその多数の側面を持つ ”初音ミク” は、時にはボカロPの代弁者となります。
例①:アンノウン・マザーグース
本作は紛れもなく、『初音ミク』が作者であるwowaka氏の代弁者として歌い上げている作品であると言えるでしょう。
本作に関して、wowaka氏本人のツイートでは以下のように説明されています。
氏も述べている通り、本作は『初音ミク』を通して氏の言葉を語るというコンセプトで制作されています。歌詞の中でも、”あたし” と ”僕” という2つの1人称が、入れ子構造のように登場します。まるでwowaka氏と『初音ミク』の身体を行ったり来たりしているような。
言わずもがな、”あたし” は『初音ミク』の、 ”僕” はwowaka氏の視点でしょう。そして同時に ”あたし” は『初音ミク』というアバターを纏ったwowaka氏でもある訳です。
氏の活動の中で、『初音ミク』という存在をどのように見ていたか、そして『初音ミク』は自分をどのように見ているのか(ひいてはどのように見ていてほしいのか)、ということを見事に表現していますね。
またwowaka氏は2017年のインタビュー記事で、自身と『初音ミク』との関係性について述べています。
wowaka氏はボカロックの祖とも呼べる人物です。氏の影響を受けて音楽活動を始めた人々が沢山生まれ、また ”初音ミク” 含む合成音声という存在を再生産していく。
そんな氏が、『初音ミク』という存在によって自己を確立した(=wowakaとして生まれた)と表現しているがまた面白いですね。
例②:ブレス・ユア・ブレス
本作は、初音ミク「マジカルミライ2019」のテーマソングとして、和田たけあき氏によって書き下ろされた楽曲となっています。
初音ミク「マジカルミライ」とは、クリプトンとTOKYO MX共催で行われる、バーチャルシンガーの3DCGライブイベントです。
名前にある通り、 ”初音ミク” を中心としたクリプトン展開のバーチャルシンガー(通称:ピアプロキャラクターズ)である、 ”MEIKO” ”KAITO” ”鏡音リン” ”鏡音レン” ”巡音ルカ” が登場し、毎年東京を中心に公演が行われます。
今年開催された、初音ミク「マジカルミライ2024」では、柊マグネタイト氏による書き下ろし曲『アンテナ39』がテーマソングとして据えられていましたね。
さて、本作に関して、作者である和田たけあき氏はナタリーのインタビュー記事で以下のように説明しています。
本作はボカロP自身と、自分から別たれてしまった『初音ミク』を描いている訳ですね。つまり、これはボカロPが『初音ミク』を自分の現身としていた、『初音ミク』という存在を通して言葉を発信していた、という意味でもある訳です。
実は和田たけあき氏は2017年のインタビュー記事で、氏にとって初音ミクとはどのような存在か?という質問に対し、以下のように述べています。
そう、氏にとって『初音ミク』とは自分自身だったんです。そして2019年のインタビューでは、この意見を翻しています。
また歌詞では、『初音ミク』を “君” と呼び、代弁者でなくなってしまった悲しみを、敢えてまた『初音ミク』に代弁させるという試みがなされています。この曲を最後に、代弁者であった『初音ミク』の手を放すかのように。
はるまきごはんと ”少女” たち
はるまきごはん氏と ”初音ミク” の話をする前に、はるまきごはん作品に登場するキャラクター達の話をしなければなりません。
私は前回のnoteで、はるまきごはん作品に登場する少女たちは、少女というアバターを纏った氏本人であると述べました。
大人になんてなりたくない。
生きていたくなんかない。
自分なんか大嫌いで、それでも自分を愛したい。
そんな切なる思いを、”少女” という姿を纏うことで、否、”少女” ならばと言葉にしている。
そんな考察を裏付けるかのように、氏は2024/07/02のインタビューで以下のように述べています。
はい、おれの完全勝利。
いやぁ、考察が当たると気持ちが良いもんですね。
そう、はるまきごはん作品に登場する少女たちは、氏の分身です。彼女らの口から零れ落ちる言葉は、キャラクターとしてのセリフであると同時に、氏の本心でもあるのだと、インタビュー記事を通して明らかとなりました。
同時に、氏にとって ”少女” たちは憧れでもあるのです。それを如実に感じさせるのは、やはり氏のシリーズ作品である『ふたりの』や『幻影』でしょう。
『ふたりの』シリーズでは、主人公である『ナナ』と『リリ』が、互いへ向ける憧れと恋心を、『幻影』シリーズでは、主人公である『みかげ』が、友人の『スピカ』に向ける羨望と諦観を描いています。
それはつまり、はるまきごはん氏が焦がれる少女たちに向けた、憧れの感情そのものでもあった訳ですね。
また、はるまきごはん作品のMVには、よく1作品に2人のキャラクターが描かれます。例えば『コバルトメモリーズ』や、『ゴールデンレイ』なんかが分かりやすいですね。
この2人の少女、これははるまきごはん氏と想い焦がれる ”少女” の図式でもあります。
前述の通り、彼女らは氏の分身であると同時に、憧れの対象でもあります。その比率は、キャラクターの立ち位置によって異なっていると私は考えています。
作品の中で語り部を担う少女は、氏の分身としての側面が、 ”あなた” や ”君” と呼ばれる少女は、憧れとしての側面がそれぞれ強く表れているのです。
はるまきごはん作品の内、初期のものは基本的に語り部である少女の、焦がれる相手がMVには登場しないので分かりづらいですが、先述した『幻影』シリーズの『みかげ』や、『コバルトメモリーズ』の『紺の子』などは、MVで相手の少女への憧れの眼差しが描かれているので、理解して頂きやすいのではないでしょうか。
はい、長くなってしまったのでここで少し纏めましょう。
以上を踏まえて、本題の話に映りたいと思います。
はるまきごはんと『初音ミク』
さて、いよいよ本題である、はるまきごはんと『初音ミク』の話をしましょう。
……したいのですが、その前に。
『エテル・シアナ』、彼女の話をしなくてはなりません。
楽曲『僕は可憐な少女にはなれない』で描かれた、ライブ『ハンドメイドギンガ』と『ハンドメイドギンガ Finale -新しい旅-』の主人公である少女、『エテル・シアナ』。
前回のnoteでも述べた通り、彼女ははるまきごはん氏の、とりわけ純度の高い現身とも言える存在です。
そして私は『僕は可憐な少女にはなれない』を視聴した瞬間思いました。
彼女は、『初音ミク』 なのではないか?
おいおい、はるまきごはんの現身とか言った癖に何言ってんだ?
ツインテールの緑髪は全員 ”初音ミク” とか言い出す厄介オタクか???
とお思いかもしれません。
しかし、これには幾つか理由があるのです。
1つ目の理由として、先述したインタビュー記事にて氏は以下のように述べているのです。
氏は明確に、この曲は ”初音ミク” に向けたメッセージであると述べています。
ここで改めて、『僕は可憐な少女にはなれない』の歌詞をご覧ください。
歌詞に登場する ”少女” は、インタビュー記事でも述べている通り、『初音ミク』と、はるまきごはん作品のキャラクターたち双方を示していますが、”あなた” という言葉は明確に『初音ミク』を示していると思われます。
根拠としては、あくまでこれは『初音ミク』に向けたメッセージであること、そして「風に揺れるあなたの 綺麗な声で 僕は少しだけ歌った/僕は少しだけ少女になった」というフレーズです。
これは『初音ミク』という少女の姿をした合成音声ソフトウェアを使用することで、自分の言葉を届けてきた10年間を表しているのではないでしょうか。「そこに声が無いのならば 隣町で買ってくる」というフレーズも、それを示しているものと思われます。
そしてMVで描かれている『エテル・シアナ』、彼女の髪は風にたなびいて揺れています。
2つ目の理由は、『エテル・シアナ』の姿が初期から変化しているということです。
先ほどから述べている通り、彼女の容姿は緑髪のツインテールとなっています。しかし、原初の『エテル・シアナ』は異なるのです。
2024/11/17~26という期間で、三鷹で開催されたはるまきごはん10年展「わたしたちの足跡」。ここでは幼少期から現在に至るまで、氏が紡いできた物語のキャラクターたちが時系列順に展示されました。
勿論、氏が『ハンドメイドギンガ』で語ったように、初めて生み出した少女である『エテル・シアナ』もその中にいました。
うん、誰!?
こちらのイラストを始めて観た時、かなりの衝撃でした。てっきり最初からあのツインテール姿だと思い込んでいたのです。
個展の中で『エテル・シアナ』は何年にも渡って登場し、はるまきごはん氏にとっても大切なキャラクターであるということが強く伝わってきます。
約4年の歳月を経て、少しずつ姿を変えた『エテル・シアナ』。そして最終的に2024年、私たちの知る今の姿となったのです。
さて、2012年から2024年という12年の歳月の間、彼女が描かれることは個展上では無かったように見受けられました。つまり、この10周年という舞台のために、再度キャラクターデザインを行ったと考えられます。
オリジナルキャラクターの姿が変わることは少なからずありますが、長年温めていた大切なキャラクターを、自分の代弁者として10周年という舞台で登場させるにあたって、大切なパートナーであり、長年自身の代弁者を務めてきた『初音ミク』の姿に似せたのも、頷けるのではないでしょうか。
ここで、はるまきごはん氏にとって ”少女” とは何だったのか、改めて振り返りましょう。
氏にとって彼女たちは分身であり、憧れです。また同インタビュー記事では、”少女” と『初音ミク』について以下のように述べています。
そう、はるまきごはんは少女になりたかったんです!!!!!!!(n回目)
氏のなりたいと願った、憧れた少女像のひとつに、”初音ミク” が、自分の生み出したキャラクターがいる。
そして、彼女らの声を、姿を借りて、束の間だけ少女になることができる。
造物主と被造物の相補的な関係性、たまんないですね……。
つまり、氏にとって『初音ミク』とは自分自身であり、同時に焦がれ続けた憧れの存在であり、それに至るための手段でもあるということです。
少しドライな言い回しになってしまいましたが、様々な側面を許容する ”初音ミク” だからこそ、可能な接し方なのでしょう。
今までの10年、そしてこれからの10年
さて、今まで散々はるまきごはん作品のキャラクターは、氏の分身であるという話をしてきましたが、その一方でキャラクターたちはそれぞれ自分の足で歩いてもいます。
それを象徴するのが、10周年 Complete Gift Box『おとぎの銀河団』と先述した個展『わたしたちの足跡』です。
今までリリースされたはるまきごはん楽曲と、新規書下ろし曲をすべて含めたコンプリートアルバムを含む、「キャラクター達からの10の贈り物」と題したアイテムが詰め込まれたコンプリートボックスとなりました。
中には『メルティランドナイトメア』に登場する『メルティ』のフィギュアや、『ナナ』と『リリ』、『みかげ』、『セブンティーナ』に登場する『ティーナ』からの直筆の手紙3通、『アスター』に登場する『ドリンクくん』が描かれたコースターなど、長年のファンにはたまらないアイテムの数々です。
本作をリリースするにあたり、同インタビュー記事では以下のように述べています。
また個展ではイントロダクションとして、以下の文章が掲載されていました。
自分の分身である一方、独立したキャラクターである彼女たち。生みの親であるはるまきごはん氏の手を離れて、二次創作など様々な形で世界へと歩み出していく。
けれど、それは完全に氏の元から別たれるわけではありません。それは『ハンドメイドギンガ』でも触れられていました。
『ハンドメイドギンガ』では車両番号が楽曲を投稿した年とリンクしています。例えば『銀河録』は16号車、『第三の心臓』は21号車、といった具合です。
そして『エテル・シアナ』は10号車から、この10年の旅路をなぞる様に進んでいきます。車掌から、「元の車両には戻ることができない」と言われながら。
そして彼女は24号車の扉を前に、足が竦み前に進むことができません。しかし、彼女はついにその扉を潜ります。
そのきっかけとなったのが、『メルティ』の「扉の先に何があっても、わたしたちはここにいいるよ」という言葉でした。
そう、少女たちはずっと、側に居てくれるのです。それを聞いた『エテル・シアナ』、つまりはるまきごはん氏は、24号車の先へ、2024年の先の未来へと進むことができたのです。
そして『ハンドメイドギンガ Finale -新しい旅-』では、追加アニメーションとして、『メルティ』を筆頭としたはるまきごはんキャラクターたちから、プレゼントを受け取り旅立つ『エテル・シアナ』の姿が描かれました。
はるまきごはん氏にとって、この10年の創作活動は、沢山の悲しみや苦しみを土台に成り立っていたのかもしれません。彼女たちの言葉が、そのまま氏の言葉なのだとしたら、どこまでも深い哀しみと孤独がうかがい知れます。
それでも、きっと。確かな糧になったのだと、未来へと羽ばたく原動力になったのだと、イチ視聴者として信じたいですね。
だって、2日間に渡って行われた『ハンドメイドギンガ Finale -新しい旅-』の最後の曲は、『セブンティーナ』と『アンサー』なんですもの。
おわりに
という訳で、本noteでお話ししたかったことは以上になります!
本当は『拡張される音楽』で展示されていた『聴心』の話、『おとぎの銀河団』で展開された新規ストーリーやキャラクターの話など、はるまきごはん氏関連でお話ししたかったことは沢山あるのですが、本noteでお話ししたいこととは少しブレてしまうため、泣く泣く削らせて頂きました。
余裕が出来たら、この辺のお話、特に魔法使いエバの話をしたいので、何とか頑張ります。
もしこのnoteを読んで、はるまきごはん作品に触れたいなと思ってくだされば幸いです。次の10年もやっていきましょう!
さて、来年の私は『セブンティーナ』の『だんご』ちゃんと同じ27歳になります。1日1日を噛みしめて過ごしていきたいな。
それでは皆さん、良きVOCALOIDライフを!
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