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はるまきごはんと『初音ミク』の話 ~今までの10年、そしてこれからの10年~【ボカロリスナー presents Advent Calendar 2024】

※サムネイルは、はるまきごはんさんのX(旧:Twitter)よりお借りしました
※この記事には『ハンドメイドギンガ Finale-新しい旅-』のネタバレが含まれています


はじめに

 皆さん初めまして、そうでは無い方は2ヶ月ぶり。
B,F(@BigBigfriend333)と申します。

 普段はボカロリスナーとして全曲チェックをしたり、曲紹介配信をしたり、ボカクラでDJをしたり、曲レビュー記事を執筆したりと、ありがたいことに色々と活動をさせて頂いている者です。

 さて、今回は毎年恒例企画、obscure.(@voca6458)さん主催の「ボカロリスナーアドベントカレンダー2024」参加記事となっています。
 本企画も6年目、つまり参加記事も6個目となる訳です。去年は初めて1枠目を逃し、お気持ちnoteなるものを世に放出したのですが、本当に1年というものはあっと言う間に過ぎていきますね。
 毎年企画してくださっているobscure.さんには、改めて感謝を。

▼去年のnote

▼1枠目

▼2枠目

 今年も1枠目は満員、2枠目も半分以上埋まっているなど相変わらず大盛況で、参加者としても嬉しい限りです。
 1枠目の前日担当はエイム(@Aym_eschata_23)さん、2枠目は天雲 鈴(@Cookei_poke)さんです。おふたりの参加記事はこちら。

 転職に、主催DJイベントに、ニコニコ動画爆破。色々とバタバタと過ごした2024年でしたが、1年を通して私の心の大部分を占めていたものがあります。

そう、はるまきごはん作品です。


はるまきごはん10周年

 何を隠そう2024年とは、はるまきごはん氏10周年の年なのです。
処女作『WhiteNoise』が投稿された2014/02/07、氏が17歳から18歳になったその時。そこから遂に10年という時が過ぎ去ったのです。

 『銀河録』で出会った私も、はるまきごはん作品を聴き始めてから8年経ちました。
 今考えると、私も17歳から18歳になる年に出会えたんですね。

 そして本年2024年、氏は10周年企画として、様々なコンテンツをリリースされました。その口火を切ったのは、氏の28歳の誕生日に投稿された『僕は可憐な少女にはなれない』と、10周年記念ライブの『ハンドメイドギンガ』です。

 もうね、めちゃくちゃになりましたよ私は。こんなに狂わされる予定じゃなかった。


はるまきごはんは少女になりたかったんですよ!!!!!!!(n回目)


 ぐちゃぐちゃに心を搔き乱された結果、2024年のDJイベントにはレギュレーションの関係で無理な場合を除き、必ず1曲はセットリストにはるまきごはん作品を入れるなど、沢山のオタク活動をさせて頂きました。
 また、活動の一環として私は、ひとつのnoteを執筆しました

 さて、本記事では、上記noteで述べた考察と、2024年のはるまきごはん作品を元に、はるまきごはんと『初音ミク』 の話をしようと思います。

 上記noteが未読な方向けに、いったい何の話をしていたのかをざっと説明しますと。

・はるまきごはん氏は少女になりたかった
・はるまきごはん作品に登場する少女たちは、少女というアバターを纏った氏本人である
・はるまきごはん作品の少女と氏の関係性は、『胡蝶の夢』であり、その象徴としてMVに蝶々が頻出している
・『僕は可憐な少女にはなれない』や『ハンドメイドギンガ』に登場した『エテル・シアナ』は、氏は生み出した初めての少女(=氏の理想とする少女の原型)であり、氏の現身である
・『ハンドメイドギンガ』とは、氏が作品を通して描いてきた「過去には戻れない」という現実と、それでも歩み続けた軌跡と描いてきた銀河(物語)を、10年前の自分に、そして次の10年に歩み出す自分に伝えるための物語である

 はい、”初音ミク” の初の字も出てきませんね。それもその筈、当時私は敢えてこの話を省いて執筆したのです。
 では何故、今回この話をnoteとして執筆することにしたかと言うと、はるまきごはん10周年企画が終わり、一通りの考察材料が揃ったからです。

 ここからは考察(またの名を妄想)を書き綴っていきます。苦手な方や自分で色々考えたいよ!という方は今のうちにブラウザバックしてくださいね。


代弁者である ”初音ミク”

 ところで、皆さんは ”初音ミク” をご存じですか?

  ”初音ミク” とは、2007/08/31にクリプトン・フューチャー・メディア株式会社(以下、クリプトン)より発売された合成音声ソフトウェアおよび、バーチャルシンガーです。

バーチャル・シンガー『初音ミク』は、声優「藤田 咲」さんが演じるポップでキュートなキャラクター・ボイスを元に作り上げられた、ボーカル・アンドロイド=VOCALOID(ボーカロイド)です。
(中略)
初音ミク』の歌声は、80年代から最新まで多彩なアイドル・ポップスを中心に、さまざまなポップ・ソング~バラード・ソングを歌い上げ、またキュートな声によるアニメソングなども得意としています。彼女の声質はとてもチャーミングで、伸びやかに天まで昇るような高音域、清楚で可憐な中高音域がとても魅力的。まるで可愛らしいアイドル歌手を、自宅スタジオでプロデュースしているかのような感覚を味わえるでしょう。

クリプトン|VOCALOID2 初音ミク(HATSUNE MIKU)より引用

  ”初音ミク” が発売されてから早17年、その間に ”初音ミク” を使用した所謂ボカロ曲が、そして曲を作るボカロPが、そして合成音声ソフトウェアが数多生まれました。
 ボカロ曲の中には、合成音声をあくまでボーカル(ソフトウェア)として用いているものキャラクターとして注目しているものなど、本当に様々な形の作品があります。

 統計に基づくものではなく主観ではありますが、数多の合成音声キャラクターの中でも、 ”初音ミク” はとりわけ特異な立ち位置の存在であると思います。
  ”初音ミク” は誰かにとっては良き隣人であり、データであり、パートナーであり、アイドルであり、物語のアクターであり、信仰対象であり、楽器でもあります。

 そしてその多数の側面を持つ ”初音ミク” は、時にはボカロPの代弁者となります。

例①:アンノウン・マザーグース

 本作は紛れもなく、『初音ミク』が作者であるwowaka氏の代弁者として歌い上げている作品であると言えるでしょう。
 本作に関して、wowaka氏本人のツイートでは以下のように説明されています。

さて今回のミク曲「アンノウン・マザーグース」について。
曲そのものについて自分で語るのは野暮だなぁともやっぱり思うので簡潔にします。なるだけ。
今回、このタイミングでお話をいただいたこと含め、なんだかミクと自分自身が重なって思えてきて
じゃあそういう設定で自分と初音ミクについて、今言えることを全部言ってしまおうという気持ちで作りました。
こんなにストレートに、自分の言葉をミクに乗せたのは初めてでした。

2017/08/25 wowaka氏のツイートより引用

 氏も述べている通り、本作は『初音ミク』を通して氏の言葉を語るというコンセプトで制作されています。歌詞の中でも、”あたし” と ”” という2つの1人称が、入れ子構造のように登場します。まるでwowaka氏と『初音ミク』の身体を行ったり来たりしているような。

あなたにはが見えるか?
あなたにはが見えるか?
ガラクタばかり 投げつけられてきたその背中
それでも好きと言えたなら
それでも好きを願えたら
ああ、あたしの全部に その意味はあると——

『アンノウン・マザーグース』歌詞より引用

 言わずもがな、”あたし” は『初音ミク』の、 ”” はwowaka氏の視点でしょう。そして同時に ”あたし” は『初音ミク』というアバターを纏ったwowaka氏でもある訳です。
 氏の活動の中で、『初音ミク』という存在をどのように見ていたか、そして『初音ミク』は自分をどのように見ているのか(ひいてはどのように見ていてほしいのか)、ということを見事に表現していますね。

 またwowaka氏は2017年のインタビュー記事で、自身と『初音ミク』との関係性について述べています。

僕はボーカロイドに救われた人間で。こいつが存在していなかったら、もちろんヒトリエの活動もやっていないし、音楽も続けていたかわからないし、例えばですけど普通に就職して生活ができていたかどうかも怪しくて。
人間として育ててもらった、拾ってもらった感覚がとても強いです。最近「初音ミクは俺の母親なんじゃないか」って思ったんですよね。

━━初音ミクは、母親ですか。

うん。母親って、大好きだったり、時にはムカついたり、悩んだりする相手ですけど、間違いなく自分を産み育ててくれた人間で、好き嫌いという次元で語れない大切な存在で。音楽をやる“wowaka”という自分は初音ミクに出会って生まれた、初音ミクが生んでくれた存在なんですよね、間違いなく。
音楽をやる自分としてのこの名前“wowaka”も初音ミクに与えられたもので。身を晒して自分で歌うようになっても、音楽をやっている以上、親から名付けられたこの名前を捨てることはできませんでした。

これは今思うと、なんですが、ボーカロイドでやりたいことを出し尽くした、次はどうしよう、自分の足で独り立ちしたいというのも、一種の反抗期だったような気もして。初音ミクという存在そのものに悩んだ時期ももちろんあったし。
でもそれは生きている以上、絶対に必要な過程だったんです。これを抜きでは、決して今の自分が存在しない。いつだってそこに、僕の中に血として居るのが当たり前というのが、僕にとってのボーカロイドです。

初音ミクは、僕の母親です――。wowakaが語る初音ミクとの関係より引用

 wowaka氏はボカロックの祖とも呼べる人物です。氏の影響を受けて音楽活動を始めた人々が沢山生まれ、また ”初音ミク” 含む合成音声という存在を再生産していく
 そんな氏が、『初音ミク』という存在によって自己を確立した(=wowakaとして生まれた)と表現しているがまた面白いですね。

例②:ブレス・ユア・ブレス

 本作は、初音ミク「マジカルミライ2019」のテーマソングとして、和田たけあき氏によって書き下ろされた楽曲となっています。

 初音ミク「マジカルミライ」とは、クリプトンTOKYO MX共催で行われる、バーチャルシンガーの3DCGライブイベントです。
 名前にある通り、 ”初音ミク” を中心としたクリプトン展開のバーチャルシンガー(通称:ピアプロキャラクターズ)である、 ”MEIKO” ”KAITO” ”鏡音リン” ”鏡音レン” ”巡音ルカ” が登場し、毎年東京を中心に公演が行われます。
 今年開催された、初音ミク「マジカルミライ2024」では、柊マグネタイト氏による書き下ろし曲『アンテナ39』がテーマソングとして据えられていましたね。

 さて、本作に関して、作者である和田たけあき氏はナタリーのインタビュー記事で以下のように説明しています。

まず第一に考えたのは、「ボカロの歌ではなくて、ボカロPの歌にもしたいな」ということですね。それと、ボーカリストとして活動する前に初音ミクという存在に対して、個人的に感じていたことがあったんです。
(中略)
曲を作っていた人たちがアーティストだったはずなのに、初音ミクがアーティストになっていて、さも自分の曲かのように歌っている、ということだったんです。これ、誤解されやすいかもしれないんですけど、例えば歌い手が僕の曲を歌うことに対しては何も問題ないんですよ。だってそれはカバーなので。でも初音ミクの場合はカバーじゃないんですよ!
(中略)
僕が自分自身を表現した「歌わないシンガーソングライター」の真逆の存在がステージに立っていた。僕はミクのステージを観て、「お前の曲じゃねーだろ!」と思ったんです。ただそれと同時に「初音ミクはもうアーティストなんだ」ということも感じました。テーマ曲のお話をいただいたとき、僕は“アーティストになってしまった”初音ミクの曲にしようと思ったんです。

初音ミク「マジカルミライ 2019」特集 和田たけあきインタビューより引用

 本作はボカロP自身と、自分から別たれてしまった『初音ミク』を描いている訳ですね。つまり、これはボカロPが『初音ミク』を自分の現身としていた『初音ミク』という存在を通して言葉を発信していた、という意味でもある訳です。
 実は和田たけあき氏は2017年のインタビュー記事で、氏にとって初音ミクとはどのような存在か?という質問に対し、以下のように述べています。

自分自身ですボカロPって、のちのち自分で歌い始める人も多いですけど、基本的には“歌わないシンガーソングライター”なんですよ。自分で声を打ち込んでいるので、もうそれは自分の歌ってことなんです。なので、ミクを含めて自分が持っているボカロは全部自分自身だと思ってます。イラストは自分のアバターみたいな感覚ですね。

初音ミク10周年特集|和田たけあき(くらげP)インタビューより引用

 そう、氏にとって『初音ミク』とは自分自身だったんです。そして2019年のインタビューでは、この意見を翻しています

──今日の取材では2年前のインタビューと同じ質問をしようと思ってたんです。それが「和田さんにとって初音ミクはどんな存在ですか?」というものなのですが。

2年前とはその答えが大きく変わっちゃいました。確か前は「自分自身」みたいに言ってたと思うんですけど、「MIKU EXPO」で全部変わってしまいまして。もう自分自身では全然なくて、強いて言うならば赤の他人になるのかな(笑)。もちろん2年前に答えた「自分自身」という感覚もまだ残っていて、Vocaloidに対して自分の分身であると感じる瞬間はあるんですけど、そもそも初音ミクはもうVocaloidという粋を超えてしまっているように感じていて。

初音ミク「マジカルミライ 2019」特集 和田たけあきインタビューより引用

 また歌詞では、『初音ミク』を “” と呼び、代弁者でなくなってしまった悲しみを敢えてまた『初音ミク』に代弁させるという試みがなされています。この曲を最後に、代弁者であった『初音ミク』の手を放すかのように

だけど
言葉は全部 になって
のものじゃ なくなった

らの夢 願い そして呪いが の形だった
見る人次第で 姿は違っていた
今やもう 誰の目にも同じ ひとりの人間
もうなんか必要ない
も必要ない

『ブレス・ユア・ブレス』歌詞より引用


はるまきごはんと ”少女” たち

 はるまきごはん氏と ”初音ミク” の話をする前に、はるまきごはん作品に登場するキャラクター達の話をしなければなりません。

 私は前回のnoteで、はるまきごはん作品に登場する少女たちは、少女というアバターを纏った氏本人であると述べました。


大人になんてなりたくない
生きていたくなんかない
自分なんか大嫌いでそれでも自分を愛したい


 そんな切なる思いを、”少女” という姿を纏うことで、否、”少女” ならばと言葉にしている。
 そんな考察を裏付けるかのように、氏は2024/07/02のインタビューで以下のように述べています。

ナナリリ自分の性格を半分にして2人に分けたり、みかげ自分の本心の部分だけを擬人化したりと、それぞれ生まれ方は違います。
共通しているのは、僕自身が持っている要素から生まれていること。なので、キャラクターたちは自分の子どもというか、「自分が生み出した小さな人たち」という感覚です。
(中略)
自分の中では、キャラクターは自分そのものに近い感覚です。自分が話すよりも、キャラクターのセリフとして発信する方が、本心に近い言葉でしゃべれている感覚があるんです。
(中略)
自分の肉体は親が用意してくれたものなので、自分の持ち物という感覚が薄くて。叶うなら──ゼロから自分で自分をつくりたいです。
だから“キャラクター”に憧れるし、みかげやリリやナナといった、これまで楽曲を通じて生み出したキャラクターの方が自分を入れる器として落ち着くそれらを通して言葉を話す方が、自分にとっては自然なことなんですよね。

はるまきごはん、培った10年とキャラクターへの憧憬「ボカロをはじめて人間になれた」より引用


はい、おれの完全勝利。

 いやぁ、考察が当たると気持ちが良いもんですね。

 そう、はるまきごはん作品に登場する少女たちは、氏の分身です。彼女らの口から零れ落ちる言葉は、キャラクターとしてのセリフであると同時に、氏の本心でもあるのだと、インタビュー記事を通して明らかとなりました。

 同時に、氏にとって ”少女” たちは憧れでもあるのです。それを如実に感じさせるのは、やはり氏のシリーズ作品である『ふたりの』や『幻影』でしょう。

 『ふたりの』シリーズでは、主人公である『ナナ』と『リリ』が、互いへ向ける憧れと恋心を、『幻影』シリーズでは、主人公である『みかげ』が、友人の『スピカ』に向ける羨望と諦観を描いています。

あなたになりたくて
いつからだろう口もきけなくて
さよなら言わないだけで
あなたは金色のシャンデリー

『ナナ』歌詞より引用

大好きだった忘れそうなほど
の青い髪がのイノセンスだった
あの日大人のフリして逃げた馬鹿な
許して欲しかった

『リリ』歌詞より引用

この海はこの空はあなたのために
誰にも教えずにただ隠していたの
この時はこの声はあなたのもとへ
ゆけ春風

『みかげ日記』歌詞より引用

 それはつまり、はるまきごはん氏が焦がれる少女たちに向けた、憧れの感情そのものでもあった訳ですね。

 また、はるまきごはん作品のMVには、よく1作品に2人のキャラクターが描かれます。例えば『コバルトメモリーズ』や、『ゴールデンレイ』なんかが分かりやすいですね。

の銀色のレースみたいな
髪が透明になって
透けた落陽 時を告げた

『コバルトメモリーズ』歌詞より引用

きつくなった靴
さよならを言った
らの命が燃えるようなゴールデンレイ
止まれないけれど を待っているから

『ゴールデンレイ』歌詞より引用

 この2人の少女、これははるまきごはん氏想い焦がれる ”少女” の図式でもあります。
 前述の通り、彼女らは氏の分身であると同時に、憧れの対象でもあります。その比率は、キャラクターの立ち位置によって異なっていると私は考えています。

 作品の中で語り部を担う少女は、氏の分身としての側面が、 ”あなた” や ”君” と呼ばれる少女は、憧れとしての側面がそれぞれ強く表れているのです。

 はるまきごはん作品の内、初期のものは基本的に語り部である少女の、焦がれる相手がMVには登場しないので分かりづらいですが、先述した『幻影』シリーズの『みかげ』や、『コバルトメモリーズ』の『紺の子』などは、MVで相手の少女への憧れの眼差しが描かれているので、理解して頂きやすいのではないでしょうか。

 はい、長くなってしまったのでここで少し纏めましょう。

・はるまきごはん氏は少女たちを分身として描いていると同時に、憧れの対象として描いている
・少女の中にはそれぞれ、分身としての側面と、憧れとしての側面が強く表れている者が存在する
・語り部の少女は分身として、2人称で登場する少女は憧れとしての側面が強い

 以上を踏まえて、本題の話に映りたいと思います。


はるまきごはんと『初音ミク』

 さて、いよいよ本題である、はるまきごはんと『初音ミク』の話をしましょう。


 ……したいのですが、その前に。

 『エテル・シアナ』、彼女の話をしなくてはなりません。

ハンドメイドギンガAnimationより引用

 楽曲『僕は可憐な少女にはなれない』で描かれた、ライブ『ハンドメイドギンガ』と『ハンドメイドギンガ Finale -新しい旅-』の主人公である少女、『エテル・シアナ』。

 前回のnoteでも述べた通り、彼女ははるまきごはん氏の、とりわけ純度の高い現身とも言える存在です。
 
 そして私は『僕は可憐な少女にはなれない』を視聴した瞬間思いました。


彼女は、『初音ミク』 なのではないか?


おいおい、はるまきごはんの現身とか言った癖に何言ってんだ?
ツインテールの緑髪は全員 ”初音ミク” とか言い出す厄介オタクか???

 とお思いかもしれません。

 しかし、これには幾つか理由があるのです。

 1つ目の理由として、先述したインタビュー記事にて氏は以下のように述べているのです。

僕は可憐な少女にはなれない」という曲のテーマは、「1人でつくること」でした。初音ミクも使っていないし、MVの制作もスタジオごはんで制作してません。
(中略)
もう一つは、あの曲自体が初音ミクという存在に向けた自分なりのメッセージになっていて、出すこと自体に意味がありました。

──この曲で歌われている“少女”は、今まではるまきごはんさんが生み出してきたキャラクターのことなのかと思っていたんですが、どちらかというと初音ミクを想定したものだったんでしょうか?

どちらもですね。MVに描いたのはエテル・シアナといって、2月のワンマンライブで主人公にしていたキャラクターなんです。
彼女たちと初音ミクが重なるようにつくっています。それらを包括して、“少女”と呼んでいるイメージです

はるまきごはん、培った10年とキャラクターへの憧憬「ボカロをはじめて人間になれた」より引用

 氏は明確に、この曲は ”初音ミク” に向けたメッセージであると述べています。
 ここで改めて、『僕は可憐な少女にはなれない』の歌詞をご覧ください。

僕は可憐な少女にはなれない
そんなこと知ってる 誰にだってわかってる

自分の身体はどうして選べないんだろう
今どきのルールだったらそんなのってないよ
みんなに見せたくなるほど綺麗だったら
お父さんお母さんに ”ありがとう” って変だろ

何が好きかだけじゃなくて 何が嫌いかもらの一部だ
心臓よりも深い場所の あなたなら知ってるか

僕は可憐な少女にはなれない
そんなこと知ってる 誰にだってわかってるけど
僕が僕じゃない歌を歌えるのは それはあなたになれなかったから

風に揺れるあなたの 綺麗な髪を
ただのひとつも持たない が見ている
風に揺れるあなたの 綺麗な声で
僕は少しだけ歌った

生まれてくるほど大事な命だったら
気付けば過ぎてく時間を止めてあげようか
そしたら悪夢も代わりに醒めなくなって
あの日のあなたに怒られるだろ

何が嘘かだけじゃなくて 何を信じるか決めなきゃいけない
そこに声が無いのならば 隣町で買ってくる

だから可憐な少女にはなれない
予定が入ってる あなただってわかってるはず
僕には手を取ることも出来ないけど 銀河を描いてしまったんだよな

忘れるわけ無いよ 化物が人を喰らう街から
袖を掴んで逃げてきたんだよ あたなただけが人間だったから

次は何が好きで何が嫌いで 将来どうなりたいかって
そんなの決まってる 僕は可憐な少女になりたかった

僕は可憐な少女にはなれない
そんなこと知ってる 誰にだってわかってるけど
いつか歩けなくなるその時まで 僕をどこかへ連れて行ってくれ

風に揺れるあなたの 綺麗な髪を
ただのひとつも持たない が見ている
風に揺れるあなたの 綺麗な声で
僕は少しだけ少女になった

『僕は可憐な少女にはなれない』歌詞より引用

 歌詞に登場する ”少女” は、インタビュー記事でも述べている通り、『初音ミク』と、はるまきごはん作品のキャラクターたち双方を示していますが、”あなた” という言葉は明確に『初音ミク』を示していると思われます。

 根拠としては、あくまでこれは『初音ミク』に向けたメッセージであること、そして「風に揺れるあなたの 綺麗な声で 僕は少しだけ歌った/僕は少しだけ少女になった」というフレーズです。
 これは『初音ミク』という少女の姿をした合成音声ソフトウェアを使用することで、自分の言葉を届けてきた10年間を表しているのではないでしょうか。「そこに声が無いのならば 隣町で買ってくる」というフレーズも、それを示しているものと思われます。

 そしてMVで描かれている『エテル・シアナ』、彼女の髪は風にたなびいて揺れています

 2つ目の理由は、『エテル・シアナ』の姿が初期から変化しているということです。

 先ほどから述べている通り、彼女の容姿は緑髪のツインテールとなっています。しかし、原初の『エテル・シアナ』は異なるのです。

 2024/11/17~26という期間で、三鷹で開催されたはるまきごはん10年展「わたしたちの足跡」。ここでは幼少期から現在に至るまで、氏が紡いできた物語のキャラクターたちが時系列順に展示されました。

 勿論、氏が『ハンドメイドギンガ』で語ったように、初めて生み出した少女である『エテル・シアナ』もその中にいました。

エテル・シアナ [2008]

うん、誰!?

 こちらのイラストを始めて観た時、かなりの衝撃でした。てっきり最初からあのツインテール姿だと思い込んでいたのです。

 個展の中で『エテル・シアナ』は何年にも渡って登場し、はるまきごはん氏にとっても大切なキャラクターであるということが強く伝わってきます。

エテル・シアナ [2009]
エテル・シアナ [2010]
エテル・シアナ [2011]
エテル・シアナ [2012]

 約4年の歳月を経て、少しずつ姿を変えた『エテル・シアナ』。そして最終的に2024年、私たちの知る今の姿となったのです。

エテル・シアナ[2024]

 さて、2012年から2024年という12年の歳月の間、彼女が描かれることは個展上では無かったように見受けられました。つまり、この10周年という舞台のために、再度キャラクターデザインを行ったと考えられます。
 オリジナルキャラクターの姿が変わることは少なからずありますが、長年温めていた大切なキャラクターを、自分の代弁者として10周年という舞台で登場させるにあたって、大切なパートナーであり、長年自身の代弁者を務めてきた『初音ミク』の姿に似せたのも、頷けるのではないでしょうか。

 ここで、はるまきごはん氏にとって ”少女” とは何だったのか、改めて振り返りましょう。

 氏にとって彼女たちは分身であり、憧れです。また同インタビュー記事では、”少女” と『初音ミク』について以下のように述べています。

自分がこれまでつくってきたキャラクターや「僕は可憐な少女にはなれない」の”少女“がそもそも何なのかというと、現実に存在する特定の少女ではなく、自分が漠然と憧れていた存在しない少女像みたいなものなんですよ。
その一部が初音ミクであり、自分のつくったキャラクターである。もっと言うと、アニメの好きなキャラクターとか、そういう「自分がなりたい、これになれたらよかったな」という思いを向けてきた少女性に形を持たせた感覚です。

はるまきごはん、培った10年とキャラクターへの憧憬「ボカロをはじめて人間になれた」より引用


そう、はるまきごはんは少女になりたかったんです!!!!!!!(n回目)

 

 氏のなりたいと願った憧れた少女像のひとつに、”初音ミク” が、自分の生み出したキャラクターがいる。
 そして、彼女らのを、姿を借りて、束の間だけ少女になることができる。

 造物主と被造物の相補的な関係性、たまんないですね……。 

 つまり、氏にとって『初音ミク』とは自分自身であり、同時に焦がれ続けた憧れの存在であり、それに至るための手段でもあるということです。

 少しドライな言い回しになってしまいましたが、様々な側面を許容する ”初音ミク” だからこそ、可能な接し方なのでしょう。


今までの10年、そしてこれからの10年

 さて、今まで散々はるまきごはん作品のキャラクターは、氏の分身であるという話をしてきましたが、その一方でキャラクターたちはそれぞれ自分の足で歩いてもいます。

 それを象徴するのが、10周年 Complete Gift Box『おとぎの銀河団』と先述した個展『わたしたちの足跡』です。

 今までリリースされたはるまきごはん楽曲と、新規書下ろし曲をすべて含めたコンプリートアルバムを含む、「キャラクター達からの10の贈り物」と題したアイテムが詰め込まれたコンプリートボックスとなりました。
 中には『メルティランドナイトメア』に登場する『メルティ』のフィギュアや、『ナナ』と『リリ』、『みかげ』、『セブンティーナ』に登場する『ティーナ』からの直筆の手紙3通、『アスター』に登場する『ドリンクくん』が描かれたコースターなど、長年のファンにはたまらないアイテムの数々です。

 本作をリリースするにあたり、同インタビュー記事では以下のように述べています。

今までは自分が作品をつくって届けるだけだったんですが、届ける過程も含めて作品にしたいと思って、今回はこういう形にしてみました。

──ご自身の存在を極力透明化して、あくまで「キャラクターが自発的に動いている」ということを大切にしているんですね。

10周年企画といっても、自分というよりは、自分が生み出したキャラクターやそれを見てくれた人たちが主役であってほしかったんです。自分はあくまで、彼ら、彼女らをお祝いする方がいいなと。

はるまきごはん、培った10年とキャラクターへの憧憬「ボカロをはじめて人間になれた」より引用

 また個展ではイントロダクションとして、以下の文章が掲載されていました。

 「わたしたちの足跡」は、自分の言葉ではありません。これまで作ったキャラクターたちの言葉です。過去の作品は一見足跡のように見えますが、彼女たちには足があるので、跡にはなれません。彼女たちは、「足跡」ではなく、「足」だ。これが、このタイトルの意味です。

 自分はキャラクターが「足跡」であってほしくないと思っています。でも、ずっと新しい楽曲を作り続けることは、新しいキャラクターを作り続けることでもあり、少し間違えれば彼女たち自身を「足跡」にしてしまう気がします。だから、彼女たちの踏んだ「足跡」をこの目で見よう。それが、個の個展のテーマです。

『わたしたちの足跡』より引用

 自分の分身である一方、独立したキャラクターである彼女たち。生みの親であるはるまきごはん氏の手を離れて、二次創作など様々な形で世界へと歩み出していく
 けれど、それは完全に氏の元から別たれるわけではありません。それは『ハンドメイドギンガ』でも触れられていました。

白いカナリアを肩に乗せた緑髪の少女、エテル・シアナ
彼女は「ハンドメイド銀河」を目指し、 銀河間鉄道 眠り姫号の10号車に乗り込んだ。
出発してしばらくすると、車掌から「一番後ろの車両のお客様がお呼びです」と告げられる。
自分を呼ぶのは誰なのかを確かめるため、最後の車両”24号車”を目指し歩き始めた。

『ハンドメイドギンガAnimation』より引用

 『ハンドメイドギンガ』では車両番号が楽曲を投稿した年とリンクしています。例えば『銀河録』は16号車、『第三の心臓』は21号車、といった具合です。
 そして『エテル・シアナ』は10号車から、この10年の旅路をなぞる様に進んでいきます。車掌から、「元の車両には戻ることができない」と言われながら。

 そして彼女は24号車の扉を前に、足が竦み前に進むことができません。しかし、彼女はついにその扉を潜ります。
 そのきっかけとなったのが、『メルティ』の「扉の先に何があっても、わたしたちはここにいいるよ」という言葉でした。

 そう、少女たちはずっと、側に居てくれるのです。それを聞いた『エテル・シアナ』、つまりはるまきごはん氏は、24号車の先へ、2024年の先の未来へと進むことができたのです。

 そして『ハンドメイドギンガ Finale -新しい旅-』では、追加アニメーションとして、『メルティ』を筆頭としたはるまきごはんキャラクターたちから、プレゼントを受け取り旅立つ『エテル・シアナ』の姿が描かれました。

悲しみは翼に、後悔はみちしるべに
さあ、新しい旅を始めよう

『ハンドメイドギンガ Finale -新しい旅-』ナレーションより引用

 はるまきごはん氏にとって、この10年の創作活動は、沢山の悲しみや苦しみを土台に成り立っていたのかもしれません。彼女たちの言葉が、そのまま氏の言葉なのだとしたら、どこまでも深い哀しみと孤独がうかがい知れます。
 それでも、きっと。確かな糧になったのだと、未来へと羽ばたく原動力になったのだと、イチ視聴者として信じたいですね。


 だって、2日間に渡って行われた『ハンドメイドギンガ Finale -新しい旅-』の最後の曲は、『セブンティーナ』と『アンサー』なんですもの。

セブンティーンじゃ無いなら
もしも無くしちゃったようなら
 
何度だって言うよ
この世界の愛し方を

『セブンティーナ』歌詞より引用

全部を知ってほしくて ほんとはちょっと怖くて
あの子に笑って欲しくて 僕は世界を作る
愛してくれるだけで良い 興味が無いならそれでも良い
これが僕とその人生のアンサー

それで良いんだ

『アンサー』歌詞より引用


おわりに

 という訳で、本noteでお話ししたかったことは以上になります!

 本当は『拡張される音楽』で展示されていた『聴心』の話、『おとぎの銀河団』で展開された新規ストーリーやキャラクターの話など、はるまきごはん氏関連でお話ししたかったことは沢山あるのですが、本noteでお話ししたいこととは少しブレてしまうため、泣く泣く削らせて頂きました。

 余裕が出来たら、この辺のお話、特に魔法使いエバの話をしたいので、何とか頑張ります。

 もしこのnoteを読んで、はるまきごはん作品に触れたいなと思ってくだされば幸いです。次の10年もやっていきましょう!

 さて、来年の私は『セブンティーナ』の『だんご』ちゃんと同じ27歳になります。1日1日を噛みしめて過ごしていきたいな。


それでは皆さん、良きVOCALOIDライフを!


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