1円玉が1億円になる日
ウクライナに続いて中東でも戦いが始まってしまった。どうして人はこんなにも不毛で、残酷なことに手を染められるのだろう。
国際法で戦争は明確に禁止されている。テロ行為だと言われるハマスの行いも、イスラエルが報復だと称して行っていることも、私には全く同じに見える。テロならば断罪の対象になるのに、なぜ国が報復という名目でたくさんの民間人を殺しても殺人罪に問われないのか。
人間ってどうしようもない底なしのバカだ!と憤ったり、嘆いたりしても、それはブーメランのように私自身に戻ってきて、これでもかとおのれの無力さを突きつけてくる。現実は1ミリも変わらないよと。
私達庶民なんて、例えてみれば1円玉みたいなもの。1万円札(いや1億円札か)の権力者にはどうしたって太刀打ちできない。
けどチリも積もれば山となるんだ。1円玉だってたくさん集まれば1万円になる。すごく頑張れば1億円にだってなれる。そういう潜在的な力が1円玉にはある。
団結すること、団結して声を上げること。これが大事なんじゃないかな。とはいえ、1円玉が1億円になるには気が遠くなるくらい時間も労力もかかりそう。
何かとんでもない問題が起こった時、人は一刻も早く解決したいって思いがち。でも問題が深刻であればあるほど、そんなミラクルみたいな解決法はどこにも転がってない。もしもそんな方法があるとしたら、頭のいい誰かがとっくにやってるはず。
世の中に傲然とはびこる暴力や不平等を永久に封印したいと奔走している人はあちこちにいるけど、現実はなかなか変えられない。
私は還暦を過ぎた老人だけど、まだ諦めたくはない。小さな一歩でもいいから、1円玉の団結に向けて努力していきたい。
団結するためにはまず、お互いをよく知ることが必要だと思う。自分の考えを相手に分かりやすく伝えること、相手の話をじっくり聞くこと。
そのためには自分の頭で考える習慣を身に付けなくてはいけない。言われたことをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の中で何度も反芻すること。
それから社会や政治、世界の動きに無関心にならないこと。グローバル化した現代はごく身近な問題ですら、実は世界中の動きと密接に繋がっている。日々の小さな問題を解決するにも、実はグローバルな視点が必要になってくる。
そんなことを意識して、日々を送っていくことが、今の私にできることなのかなと思う。なんだかスケールがしょぼくて寂しいけど、これ1円玉の私の現実。
どんな時もなるべく自分の考えていることを周囲に伝える努力を忘れないようにしたい。分からないことは分からないと質問し、おかしいと思うことはおかしいと思うと伝える。
ごく当たり前のことなのに、私はずっと疎かにして生きてきた。波風立てるのが怖くて見て見ぬふりをしてた。誰かと真剣に対話しようなんて面倒臭いこと、若い頃はこれっぽっちも思わなかった。会話なんてその場を無難にやり過ごせればいいんだぐらいに思ってた。
人生の終盤を迎え、旅の終焉が見通せるようになってきた今、今日これをこの人に言わなかったら、もう二度と言える時は巡ってこないかもしれないと、切実に思うことが増えてきた。
そんな気持ちでこれも書いてます。こんなこと口にするタイプじゃ全然なかったんだけどな。不思議。
こんなちっぽけな行動で一体何が変わるんだって思うけど、やらないよりはましかなと思う。もっといい方法を知っている人がいたら是非教えてほしい。
誰もが日頃から社会や世界について関心を持ち、自分の頭で考え、臆することなく、その考えを周りに伝えられて、互いに意見交換できる、そんな世の中になったら、庶民が国を動かすのも夢じゃないんじゃないかなって思う。
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